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勝手とは?/ ディック

[ 176] 勝手に将棋トピックス
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/mozuyama/

原因は不明ですが、サーバ全体が利用不能になっているようです。仕方ないので本格的に移転を検討しますが、作業する時間はしばらくとれそうにないので、もう少しお待ち下さいますようお願いします。
都合によりメールアドレスを変更します。以前のメールアドレスも当面は有効ですが、今後は下記のアドレスへお願いします。なお、メールチェックの頻度が下がっているので、メールをいただいてもお返事がままならないこともあると思います。
登録できるページ数の上限を100だと思いこんでいたのですが、2年近く前に200に拡張されていたことに最近になってようやく気付いたので、これまでなら登録しなかったページも登録してみるようにしました。様子を見ながら少しずつ増やしていければいいと思います。なお、最近は新しいところの開拓をあまりしていないので、見落としているページも多いと思われますので、推薦は歓迎です。(ただし、対応は遅れてしまうと思います。すみません。)
更新されているのに上がってこないページの設定を修正しました。これについては、下で解説します。
勝手に将棋アンテナをご利用になっている方には、「更新されているのに上がってこない」ページがときどきあることにお気づきの方もいらっしゃるかと思います。これは、I know.に特有の原因も含まれているため、どうしてそういうことが起こるのかわかりにくいと思いますので、ここで一度説明しておきます。
いったん登録された後に、登録先のページでこの設定がなされた場合は、アンテナはそれ以後の更新を検知できなくなります。これは登録先の意志によるものであり、仕様通りの動作です。例えば、コンピュータ将棋協会blogはこれに該当します。5月7日追記:コンピュータ将棋協会blogが上がってこない状態になっているのは、別の原因のようです。申し訳ありません。(現時点では原因不明です。)
ページの更新が頻繁でない場合、アンテナの更新頻度はだんだん下がっていく仕様となっているようです。そして、更新がずっとないページは、最終的に定期的な更新が中止されてしまいます。こうなった後に更新が再開された場合、その再開を検知するのは長期間先になることがあります。ただ、きちんと確認はしていませんが、そこまで更新間隔が開いていないのにこのような状態になることがあるような気がします。(登録先のサーバ不調などでつながらないことがあると、こうなってしまうのかもしれません。)
この状態になっているかどうかは、次のような手順で誰でも確認可能です。さらに修正可能な場合もあります。
すると、アンテナが更新をチェックした履歴がわかるページになります。直近の日時とともに「定期巡回」と書いてあれば正常です。
ページによっては、ページ全体の更新を見るのではなく、一部分のみの変化を検知するように設定していることがあります。例えば、テキスト形式の広告が入るページなどです。
この設定では「ある文字列から別の文字列まで」というような指定を行うのですが、トリガーとなる文字列が変更されてしまうと、何もないところを指定していることになってしまう場合があります。こうなると、その後何があっても更新を検知できません。これは、私がログインして設定を変更しなければ修正できません。
ただし、いわゆるブログなど、フィードの配信があるページではそちらを利用することで、このような不具合を防ぐようにしています。この不具合が生じるのは新聞社系のページが多いように思います。
上記の手順で、最新の巡回履歴が「1970年」になっている場合がこれに該当します。こうなった場合、I know. に連絡すると修正してもらえるらしいですが、私の経験上、更新範囲設定を変更してやることで復帰できるようなので、現在はそうしています。(やはり、私がログインすることが必要です。)
この症状は、だいぶ前の大規模な障害時に多数のページに発生したのが始まりでしたが、その後もぽつりぽつりと新しく発生しているので、データベースのおおもとで何か問題が起こっているのかなと思うのですが、よくわかりません。
2008/05/07 11:03 お手数をおかけして申し訳ありません。試してみましたが、相変わらずアクセスできないと言われますので、アンテナの運営元に問い合わせてみました。最近レスポンスが遅いようなので日数が掛かるかもしれませんが、回答がありましたら直接ご報告差し上げます。
どれも興味深いのですが、将棋本という観点からは「『空白の二十年』を埋める営み(現代将棋を学ぶ) 」に特に興味を惹かれました*1。ここで紹介された将棋本は私も熱心に読んだものがほとんどで、そのときの興奮がよみがえった気がしました。さて、この記事に対する別の方の感想で次のようなものがありました。
梅田氏が今回振り返ったのは矢倉が中心で、このほかにも角換わりや横歩取りなど実戦でたくさん指されている定跡はまだまだありますが、そういったことを除けば上のコメントは正しいのかなと思います。ただ、それが可能になったのはこの20年間に発行された将棋本の蓄積があってこそであり、そのような蓄積のある分野は意外に少ないのではないでしょうか。効率の良い学習は、多数の努力の積み重ねで支えられています。
実際、平成に入ってから将棋本は着実に進化を遂げてきたと思います(それ以前も進化はあったはずですが、よく知らないのでそれ以後の話が中心となります)。昔も良い本はたくさんあったのですが、その良い内容を伝えるための技量というものが少しずつ改良されてきて現在に至るという印象を持っています。ただ、具体的にどのあたりが改良されてきたかを指摘するのは私には荷が重いので、個別の本でここが良かったという話にならざるを得ません。昨年発行の一冊を取り上げることで、私がどのような点が好きだと思って読んでいるのか、間接的にでも伝わればいいなと思います。
この本は昨年発行の本の定跡書の中で上位に入ると私は評価しています。一つの売りは、相穴熊というこれまであまり単独では取り上げられてこなかった戦法に着眼した点でしょう。(相穴熊だけでまるまる一冊というのは『東大将棋ブックス 四間飛車道場 第7巻 相穴熊』以来ではないでしょうか。)相穴熊はアマチュア間でもよく指され、独特の感覚を必要とされる部分があるわりには、それを解説する本はあまり出てこなかったという点で、需要をよくつかんだ企画だったと思います。
本書の特徴はなんど言ってもプロとアマの共著であること。二人の読みや考え方の違いを対話形式で進めていることが面白いと思う。
たしかに、対話形式の将棋本は、純粋な対談を除けばあまり思い当たりません。『村山聖名局譜』で羽生・先崎が語り合っているのが印象に残っているくらいでしょうか。そこで二人はどういう話し方をするのかという興味をかきたてられるという意味があったのとは違い、『とっておきの相穴熊』では話し方ではなくやはり話の内容に興味が集中することになります。実際、編集の仕方も話し方に関しては特徴を出さないようにしている感じがします。
対話形式以上に特徴的なのが、プロ・アマの共著という点でしょう。先例があったかどうか思いつきませんが、穴熊を得意としている広瀬五段と、やはり穴熊で有名なアマチュア強豪の遠藤氏の組み合わせというのは適任であったと思います。そして、この二人が意見を述べ合うことでより豊かな内容となるという狙いがあったのでしょう。しかし、まえがきを見ると意見を述べ合ったことの効果が狙い通りに得られたのかは微妙な感じも見えてきます。
こと相穴熊に関しては私も自分なりに磨いてきた感覚に自負があるので、それほど大きな違いはないのではないかと思っていた。ところが、残念ながらというか当然ながらというか、広瀬さんの感覚は私の想像のはるか上を行くものだった。
遠藤氏の言葉には謙遜やプロを立てる意識が含まれているはずですし、広瀬五段の文も正直な気持ちを表したものだろうと思いますが、出来上がった文章を私が読んだ印象では、遠藤氏がこんな手はどうでしょうかと言うのに対し、広瀬五段がそれもありそうですがこういう手がより良さそうですと言って、遠藤氏がなるほどそうですねと受けるという流れが多く、結果として広瀬五段はすごいと、穴熊なら無敵なんではないかという勢いで最善手を指摘しているという感じでした。もちろん、広瀬五段も負けるときは負けるし、遠藤氏もプロと指せばそこそこの勝率で勝つはずです。実際の実力差がどのくらいかは私程度では全くわかりませんが、プロが絶対に強くてアマがまったく歯が立たないという印象よりは差は小さいはずだと思います。一つの理由は、取り上げられた実戦に広瀬五段自身の対局が含まれていて、そのような場合にはすでに検討済みだったりしてすぐに明快な指摘ができるというようなこともあるのかもしれません。
このようにプロとアマに差があるように見せることが実際の企画意図なのかはよくわかりませんが、少なくとも結果としてはそうなっているような印象がありました。しかし、それがこの本だけに特徴的なのかというと、実はそうでもないように思います。というのも、テレビの将棋講座や実戦解説の聞き手役を遠藤氏が務めていると思うと自然に読めるからです。聞き手にしては指摘が的確ですが、以前千葉涼子女流三段がNHK杯戦の聞き手を務めていたときに、ときどき解説者を上回るような指摘をしていたようなものかと思います。そう考えると、この形式も自然に受け入れられるし、だからこそこのような編集に落ち着いたのかとも思えます。ただ、NHK杯将棋講座テキストでこういう書き方をしているのは、私は読んだ記憶がないので、この本の独自性がそれで失われるわけではありません。(余談ですが、NHK将棋講座のテレビでの台本を元に作られた単行本があっても面白いかもしれませんね。)
とはいえ、対話形式にも欠点はあります。例えば、「▲6五銀!次から次へとすごい手が出てきますね。」というような言葉は対話形式ならではのリズム感を生み出す役割を果たしている反面、局面における手順を伝えるという意味では、限られた紙面を解説ではない文で埋めることで全体の密度を下げてしまっています。このような欠点を意識してかどうか、活字になったそれぞれの言葉はかなり実質的になっており、おそらく二人が実際に発した言葉を編集段階でかなりそぎ落としているのではないかと推測します。だとすると、単著で変化手順やその意味を順番に書いていく通常の形式と比べて、編集の手間はだいぶかかっているのではないかと思いました。この本は対話形式にして成功だったと評価していますが、表面だけを真似て、対話をそのまま文章化するような中身の薄い本が出てこないといいなと思います。
ここまで、形式面について長々と書いてきましたが、内容が充実していなければ良書と呼べないことは言うまでもありません。この本は内容面でも特徴的な点があります。第1章は相穴熊の序盤の定跡形にさらっとと触れているだけですが、第2章の「相穴熊における終盤戦の考え方」がなかなか面白いです。終盤戦の考え方というと、必死、詰めろといった詰み周辺の部分を扱うのが普通でしたが、ここでの終盤戦はお互いに大駒を成り込んだ後といった終盤戦の入り口的な局面が多く扱われています。そこから、と金を作るとか、端攻めが有効とか、玉頭戦でどうなるかとかいう解説があり、いかにも実戦的な気がします。これは、実戦を題材とした第3章でも同じ方向性であり、序盤が余り扱われていないという意味では定跡書と呼ぶのはふさわしくないのかもしれないとも思わせられます。しかし、これは中盤から終盤の入り口という最も実力差が出やすい部分での定跡化を目指したものとも言え、その意味では定跡書と読んでも間違いではないでしょう。相穴熊はそのあたりの類型化がやりやすい戦形であることも大きな要素です。
序盤を扱う本は昔からたくさん出ていました。また、詰みに近い局面で定型的な考え方も「ゼット」という概念の登場でかなり整理されてきた感があります。そこで残されたのが、中盤から終盤の入り口に書けてどのような指針を持って指したらいいかという課題です。浅川書房の『羽生善治の終盤術』シリーズはその部分に焦点を当てた良書だと思いますが、やはり多様な局面をまとめて統一的な考え方を与えることはいまだに難題のように思えます。『とっておきの相穴熊』でもその部分に答えが出ているとは言えませんが、相穴熊という限定された戦形の中で、実戦の局面における様々な考え方を示すことで、読者に穴熊の感覚を身につけさせるような書き方になっているのではないでしょうか。
ここで大切なのが、言葉を使って考え方を示しているという点です。こう指すのは、相手にこう指されてよくないと書くのは、因果関係がはっきりしていて一見したところ明確な書き方に見えますが、その手順が他の局面にどの程度応用が利くのかが明らかでないという点ではただ書いただけになりかねません。強い人であれば棋譜を見ただけでその意味を理解できるのでしょうけれども、本を買う人はたいていの場合層ではないわけです。手順がどのような考え方に基づいて指されたのかを、考えられる要素を凝縮する形で言葉にすることは、近年の多くの名著の特徴であると私は考えています。『とっておきの相穴熊』はその点でよくできた良書ではあるものの、歴史に残る名著と言えるほど感動的な要素が詰まっているとまでは言えないかなと感じました。
最後に、形式面で目に付いた粗を一つ指摘して終わりたいと思います。上で述べたように、この本では手順を話している部分と、考え方を言葉にしている部分の両方があります。そして、それらは常に同じ割合で分布しているわけではありません。結果として、図面と図面の間で手数がかなり進んでしまう部分と、ほとんど進んでいないのに次の図が出てくる部分とで、だいぶむらができてしまっています。これは、1ページにつき図面が2つという定型を維持しているところからくる欠点であり、話された棋譜が少ない部分では図面を省略した方が読みやすかったのではないかと思います。編集時の手順としては、1項目の文章量を見てページ数を決め、それによって図面の枚数が決まり、棋譜に対して均等な感じで割り振っていくという形ではないかと推測しますが、本来は棋譜を見て必要そうな部分の図面を作り、その枚数と文章量の比率を見て図面の割付を決めるという手順ではないかと考えました。浅川書房はそのあたり柔軟に作っているように思います。文章と図面の比率は、定跡書の性格を形作る上で最も大きな要素の一つであり、その部分に意識的にならなければ内容を効果的に伝えることができないというのが私の意見です。
そういったことはあるものの、全体としては良書であり、穴熊を指す人ならば読んで損はない、というか読むべき一冊です。こういう試みが今後も続けられると面白いなと思いました。
を考えます。本当はもっと早く更新できるつもりだったのですが、いろいろ見ているうちに書きたいことがふくらんでしまい締め切り間際になってしまいました。
他の方のリストを見ているとそれもあるなあと思わされて心が動いてしまいます。それは抑えてできるだけ絞りながら、自分個人の感覚を重視しながら選んでみました。
オールタイムでの名著となると内容が良いというだけでは不十分で、やはり他の本にはない要素がなければその資格はないという考えなのだなと、リストアップしてみて気付きました。しかし、客観的にというよりはどうしても主観的になりますね。本の面白さには、本を読んでいたときの個人的な体験が大きく関わってくるわけで、その意味で純粋に本の中身だけを評価するのは難しいし、個人の評価ですからそれでいいのではないかと考えました。
この2冊に特徴的なのは、他の棋士に取材をして書いていることです。本を書く上で取材をするというのはごく普通のことのようにも思われますが、将棋本の場合はあまり行われません(少なくとも、読んでいてその形跡が見えることはほとんどありません)。一人だけで知っていることよりも、他人に話を聞いてわかることを書いてくれた方が、より幅広い理解が得られることは間違いありません。
取材によって、肝要な変化を書き漏らさないということはあるでしょうけれども、それよりも大きいのは、詳しい人から生の声を聞けることです(これは『最新戦法の話』でより顕著になりました)。どうしてその手順が有力なのか、序盤の場合それは単に手順を読み切った結果それが最善だとなったわけではなく、指した人の感覚に最も合致した手を選択した結果としてそうなったと考えられます。その感覚は人によって時代によって異なっており、その違いを言葉を使って表現するのにふさわしいのは当人しかいません。
そして、有力手を見つけた人もそこに至るまで試行錯誤を繰り返しているのが通常です。つまり、戦法にも歴史があり、その流れを見直すことが戦法を理解する上で有効な手段となっているのです。このことは、上記の2冊を読んだ方ならご理解いただけると思います。
『消えた戦法の謎』は、当時すでにプロ間で指されなくなっていた戦形を扱いました。プロ間で指されないということは、進化しないということでもあり、書かれている手順の多くは今も古びていません。その意味で、現在でもアマチュアが対局するのに役に立つ本であると言えるでしょう。アマ間では「消えた戦法」も指してくる人がいるのですから、対策は知っておかなければなりません。プロでも当時は対策を見つけるまでに時間がかかったものも多く、アマにとって短い持ち時間の間に正確に対処するのは難しいものです。
『最新戦法の話』は、名の通り最新の戦法を扱っています。したがって、最新の戦法が最新でなくなった暁に書かれていることは古くなる運命にあるわけですが、だから賞味期間が短いというわけではありません。一つは、現在最も指されている戦法を選んだことによって、トップ棋士・有名棋士から話をたくさん聞けていること。そういった棋士がどのような考えで指していたのかということは、それだけで関心の対象になりますし、年数が経ってからそのときの最新の戦法と比較しても楽しめるはずです。それよりも大きいのは、何を考えて指しているのかがより凝縮されて盛り込まれていることです。この本は、もともと将棋世界の連載だったわけですが(加筆修正がかなりあるようです)、そのせいで執筆期間が長く、また密度が濃くなった印象を受けます。棋士に取材して、話がはずんで延々といろんな話をしたということがあったりすると、そこから何を取り出すかを悩むことになります。そうして考えに考えた結果としての文章は、時代が変わり戦法が変わっても通用するエッセンスを含んでいると思います。
10年もたないと名著ではないというのが私の持論で、今回挙げた本は皆その条件をみたしていると考えています。
上田吉一氏は詰将棋作家としてよく知られており、詰将棋作品集は『極光21』(河出書房新社、2001年)として出版されています。そのいわゆる「普通の」詰将棋を、上田氏は「伝統ルール」と呼びます。『極光II』に収録されているのは、そうでない変則の詰将棋です。ばか詰はよく知られていますが、それにとどまらず多種多様なルールが使われています。
詰将棋の面白さが、駒運びや謎解きといった指将棋と無関係な要素にあると考えるならば、指将棋のルールに従わなければならないのは不要な制約でしかないという見方もできます。しかし、より自由な枠組みではより高度な実力が求められます。それは逆に高度な実力をより発揮できる舞台ということでもあります。この作品集では、これまで見られなかったような作品が数多く収録されており、歴史に残る一冊と言えるでしょう。
形勢にあまり差の付いていない数々の局面について、島朗八段が佐藤康光二冠・羽生善治二冠・森内俊之名人といういわゆる「島研」のメンバーに対して、その局面でどんなことを考えるかという「読み」について質問しまとめた本。将棋世界で連載されている「イメージと読みの将棋観」は、これが元ネタだと思います。
この豪華メンバーを集めたというだけでも衝撃的でしたが、それだけでなく読みの内容を聞き取り調査するという企画がすごい発想でした。やりたいと思った人は多かったと思いますが、局面の選定や話し言葉の編集など、実際に実現するまでには裏で相当な労力がかかったことと思います。結果として出来上がったものは、3人の読みの手順だけでなくその土台になっている考え方が読めるという点で画期的な本となりました。そして、その結果としての読みの食い違いというのもまた面白く、トップ棋士の実像をわかった気にさせると同時に、私のような読者がどれだけ読みが浅いかを知らしめるという点でもよくできている本でした。
盤上のことを扱うけれども手順を列挙するだけではないという、企画段階での工夫がある本は数少ないのですが、その中でもトップクラスの一冊です。
将棋本で「思想」ということばが題名に入っているのはこの本だけではないでしょうか。その事実がこの本の独自性を浮き彫りにしています。体裁としては手順があって解説があるという普通の定跡書なのですが、全体に貫かれた方針として「思想」を著そうとしたことがよくわかります。
矢倉の序盤の駒組みを覚えるのが大変という感想を抱く人は多いのではないかと思いますが、どんな手にもそれを指さなければならない意味があるわけで、その意味を理解していれば丸暗記の苦労をする必要はありません。プロ棋士のレベルになればどの戦形にしろ深い理解に基づいて指しているはずですが、その理解を言語化して普通のアマチュアに伝えられる形にかみ砕くのは誰でもできる行為ではありません。この本はそれができている希少な一冊です。
出てきている手順はすでに最新形ではなくなっていますが、それでも矢倉党である私にとってのバイブルです。
1970年に36歳で急逝した山田道美九段の著作をまとめた全集の一冊です。古い時代の中でも近代的な視点の感じられる部分もあり、手順が廃れても読む価値のある文章が多いのですが、その中で趣の異なる第7巻を選んでみました。
この第7巻は1948年から59年まで(15歳から26歳)に書かれた日記が収められています。戦後のまだ暗い時勢で、それでも将棋で生きていく姿が描き出されており、貴重な資料と言えます。日記ですからもともと他人に見せることを予定せずに書かれているのですが、それが逆に生の人間味を伝えており、読んでいて胸に来るものがあります。
プロ棋士を目指す現代の若者や、プロになり立ての若手棋士がどのような心境でいるのか、本当のところはよくわかりませんが、時代が違っても共通するものはあるのでしょう。編者の中原誠十六世名人がこれをまとめられたことについて、あとがきでご遺族に感謝の意を述べていますが、私もそう思います。
現在は古本でしか入手できません。私が見ていた感じだと、後半の巻は部数が少ないような気がしますので、セットで買うのをおすすめします。最近は古本にあまり手を出していませんが、絶版になっていてもこういう本はあまり相場が高くなっていないのが現状だと思います。
英語の本を一冊。これは英国の団体The Shogi Foundationから出版された本で、主にルールを覚えて実戦を一通りさせるようになった後の級位者あたりに向けて書かれた本だと思いますが、それ以外の人が読んでも役に立つ書き方になっています。内容は、様々な棋力の外国の人が指した棋譜を羽生二冠が講評する形で書かれています。日本将棋連盟は海外への将棋の普及を目指していますが、それにはこのように日本語以外の言語で書かれた本格的な書籍の存在が有効であることは間違いありません。羽生二冠という、海外の将棋ファンにもネームバリューのある棋士がわかりやすい本を書くことで、入門からさらにその先へ進む手がかりができるのは大いに意義のあることです。
ここで注目すべきなのは、羽生二冠がわかりやすい言葉を使って手の良し悪しを解説しているところです。テレビや雑誌などでも「ここはこうするところ」とか、「こうするのが筋というもの」といった表現がしばしば見られますが、本当はその手がなぜ良いのか、なぜ良くないのかを初心者にもわかる言葉で説明できる実力が求められると思っています。羽生二冠が漠然とした概念を言語化する能力に優れていることはよく知られていますが、それがこの本にも発揮されています。初心者や級位者だけでなく、そういった人にに将棋を教える機会のある人も、説明に使える語法を学ぶ意味で役に立つ本ではないかと思います。
終盤の手筋を集めた本は数多いですが、中でも名著として知られているのがこの本。現在は絶版で、古本が高値で取り引きされているようです。(一度は復刊ドットコムでオンデマンド形式で復刊されましたが、発行部数は少なかったようです。)
そんなわけで評価の高いこの本ですが、絶対にこの本でなければならない理由は何かと言われると、実は特にないというのが答えになってしまいます。内容の良さを実勢価格で割り算するなら、もっと上に来る本はあるでしょう。それなのにどうしてランクインするかというと、やはり私の体験として、この本を読んで上達したという実感があることが大きいです。頭金や挟撃のような基本的な形から始まって、順を追って難しくなり、最後にはアクロバティックな手順が出てくるようなバランスの良さが好きなんですね。オーソドックスな良さというか、いわゆる普通に良いというやつです。
その理由は充実した内容にあったことは言うまでもありません。当時、関心の高かった戦法や、あまり知られていなかったけれどもアマチュアに人気の出そうな戦法など、読者の興味をよく理解した題材選びも的確でした。また、478ページというほぼ2冊分のページ数で1,890円というお買い得感も売り上げ増加に貢献したのでしょう。
そういった様々な要素はありますが、上の記事にもあるとおりインターネットを利用したマーケティングも見逃せません。島朗八段が答える「次の一手」という企画をウェブ上で開催するなど、注目を高める手法でそれまで将棋本を買わなかった層にも浸透しました。いいものを作れば売れるというほど世の中は甘くないわけで、この成功には見習うべき要素がたくさん含まれています。
ただ、こういうことができるのも講談社という強みがあってのことだったか、この成功も単発に終わってしまった感は否めません。こういった種類の熱さの伴う将棋本がまた出てきたらいいなと思います。
将棋入門ということで、十枚落ち、八枚落ちを紹介しているのは当時の入門書ではあまり見かけなかったような気がします。しかし、この本の特色はそういうところではなく、後半から始まる「詰将棋の楽しみ」と「将棋と数学」の章でしょう。前者では、打歩詰を利用したトリックから、ばか詰、大道棋までバラエティに富んだ作品が紹介されています。後者では、将棋が先手必勝かどうかを決定するための手法が書かれており、そういった理論的側面に関心のある方にとっては必読の書となっています。
この本に関しては特に自分の個人的な趣味が入っていますが、それを書くもまた醍醐味かなと思います。
2005年の瀬川晶司氏プロ入りは将棋界の歴史に残る出来事でした。私は関連報道をリアルタイムで追っていたので、個人的な感慨は大きなものがありました。この本は、そのプロ入りまでの軌跡をつづった本です。しかし、実際の本質はプロ入りにとどまらず、将棋界という狭い世界の中にある問題を描き出したという点にあると言えるでしょう。
この本の特徴は、直接の関係者に取材して深いところまで話を聞いていることです。というと、ノンフィクションでそんなことは普通じゃないかと思われるかもしれませんが、将棋関係でそれをやった本はほとんどないのが実情です。例えば、同時期に出版された 『奇跡の一手―サラリーマン・瀬川晶司が将棋界に架けた夢の橋』は、将棋関係のノンフィクションとしては夕に平均以上の水準でしたが、週刊将棋から引き写したような記述がまま見られたところに不満がありました*2。
こうした事実記載中心の本の場合、私はそれまで知られていなかったエピソードがどれだけ盛り込まれているかを一つの基準としています。その意味でこの本は非常によく書けています。しかし、それだけでなく、プロ入りという事象を取り囲む構造を示すことができたという点で、単に事実について書いた以上の価値のある本と言えるでしょう。最後に、検索して見つけた一つの書評にリンクしておきます。後半で、厳しめのことが書かれていますが、厳しい要求をするだけの価値があると認められること自体が価値のある証拠だというのが、読んだ方にはわかると思います。
まず、オールタイムといいながら時代はだいぶ偏ってしまったかなという思いはあります。『将棋図巧』を挙げても文句を言う人はいないでしょうし。ただ、やはり個人的に読んだ中からというとどうしても平成以降になってしまいます。将棋関係の古本を買い込んだ時期もあったのですが、際限なくなりそうだったというのと、まだ古い本の良さをよくわかっていなかったということもあって、昭和に発行された本にはあまり手を出しませんでした。
上記のページを見たりすると、もっと買おうかななどと考えてしまいます。(もうすでに置き場所に困っているので難しいのですが。)
それから、シリーズもので、一冊ごとではそれほどではなくてもシリーズとして評価したいものがいくつかあります。
個人全集が毎年出版されるというのはかなり例のないことではないかと思います。ただ、ここ数年発行が止まっているようですが、やめてしまったのでしょうか。
所司和晴七段が単著で全38巻という巨大シリーズを書き上げたことが特筆されます。内容は基本的には手順の列挙にとどまるのですが、迅速な刊行を可能にした効率的態勢が評価されるべきだと考えます。質を高めるのも大切ですが、同じことをやるのにどれだけ生産性を上げられるかというのも重要な観点です。
浅川書房渾身のシリーズだと思います。藤井猛九段の研究の奥行きを余すところなく収めきっており、密度の濃さにさすがと感心させられました。
ちょうど昭和と平成の境目に発行されたシリーズです。このシリーズ名だとわかりにくいかもしれませんが、黄色い背表紙で「○○ガイド」という題名の本です。売り上げが良かったのか、『定跡百科ワークブック』(「○○マスター」)として、練習問題形式のシリーズも作られました。リアルタイムでは知りませんが、当時としてはかなり新しい体裁だったのではないかと思います。著名な棋士の名前を出さなくても「週刊将棋編」で売れるとわかったのがこのシリーズではないでしょうか。その意味で、定跡書のビジネスモデルを変えたシリーズではなかったかと思います。内容面でも、読みやすさを意識した書き方が見られ、平成での将棋本の進化のきっかけとなったという評価もできるかもしれないと思いました。(このあたりの結論を出すには、もっと比較・検討する必要がありますが。)
本来こういうまとめは将棋年鑑に収められるべきもので、量的に不満はありますが、2004年版から「棋界最前線」として勝又六段が書くようになりました。また、将棋世界の毎年6月号付録になっている勝又六段の「新手・ポカ・妙手選」もこの延長線上にある企画でしょう。
アマチュアの棋譜集ですが(中には、実はプロという対局もあるかもしれませんが)、24万局というその規模が驚きでした。レベルの低い棋譜も多いでしょうけれども、強くない人の指し口を研究するのには他にない素材ではないかと思います。問題は6,799円という価格で、本当はもっと安くすべきだったと今でも思っています。(久米氏に責任があるわけではないのですが。)
近年、出版界全体で新書の発行が増えており、棋士の書いた新書も見られるようになってきました。その中で、『やりなおしの将棋』、『最強の駒落ち』、『決断力』あたりは記憶に残る本だと思います。これからも、新書は期待できる分野になるでしょう。
観戦記文学の古典として最高峰に位置付けられるという意味で挙げておきたいと思います。『名人』の元になりました。
最近一部で流行っている推理将棋の元であるチェスプロブレムの「レトロ」の魅力を、シャーロックホームズのキャラクターを使ってわかりやすく解説した本です。
基礎知識としてチェスのルール以外は不要ですので、推理将棋が好きな方なら間違いなく楽しめるはずです。
*2:上地隆蔵氏はその後将棋雑誌などで良質の記事を多数書いています。特に、将棋世界2006年9月号から連載された「“元奨”の真実」は名著として残る可能性がある企画だったと思いましたが、3回だけで終わってしまったのが残念でした。

 

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