序文とは?/ アイフル
[ 549] 天使の世界 序文
[引用サイト] http://www.angel-sphere.com/info/preface.htm
天使というものを知らない人はまずいないでしょう。一般に天使にイメージされる姿は、ひとつは翼を持ち優しげで輝いている姿、そしてキューピッドのころころしたかわいらしい姿の二つだろうと思います。しかしそうしたイメージは後になってから形成されたものなのです。天使には人を見守ってくれる庇護者としての姿もありましたが、時には厳しい制裁者としての姿や神の言葉を伝える伝言人としての姿もありました。そして天使というものを詳しく知れば知るほど、もともとはそうした天使の方が多かったことも分かります。 誰でも知っている存在でありながら、天使の性質や、実は天使にも階級があったことなどはあまり知られていません。具体的な天使の名前も普通の人はほとんど知りません。よく知られているものなのにイメージだけが先行し、詳細は知られてはいないのです。 天使というものに興味を持ち、ひかれた者として、そうした詳細な天使の姿も含めて知ってもらおうと思いこのウェブサイトを立ち上げました。ついでにここを訪れたあなたもさらに天使に興味を持ってもらえたらと思います。 このウェブサイト作りで参考にし、情報源でもある本については参考資料の項にのせてあります。興味を持たれた方は探して読まれてみるといいかもしれません。天使の世界は驚くほど奥が深く、このウェブサイトだけではとうてい全てを補い切れません。ここは天使の世界に触れる第一歩のページなのです。 上記がこのウェブサイトを開設した当初の意図でした。今もウェブサイトを作る目的は変わっていませんが、ここを開設してから、掲示板の書き込みやメールで多くの感想をいただき、天使(堕天使もいるでしょうが)に興味を持つ人が自分が思っていたよりもずっと多かったことには驚きました。 今日、書店に並ぶ「天使本」はさらに数を増やしつつあるようです。天使人気は増加傾向にあるのでしょうか。ところで、書店に並ぶ「天使本」を見ると面白いことに気づきます。同じように棚に並べられているこれらの「天使本」の内容が、二つに分けられることです。一つはこのサイトで扱っているような内容です。天使の階級、能力、どんな天使がいて、どんな活躍をしているのか。もう一つは、天使体験、天使と出会うには、天使に関連づけたセラピー系、などの内容です。 天使に興味を持ったきっかけとして、ゲームや漫画で、天使の絵が好きで、天使の絵を描いていて、という声も多く聞かれます。周りをちょっと見回してみても、天使をモチーフにした絵、また商品のキャッチフレーズにも簡単に見つけられます。インターネットの検索で天使やAngelという言葉が使われているものを探すだけで膨大な量が現れます。 天使が誰にでもイメージされるほど浸透しているのは、一つには宗教や伝承の領域からも離れてあらゆるところで身近に使われるようになったからではないでしょうか。今は大きく分けて三つの天使が存在すると考えています。一つ目は、神話・伝承の領域での天使。先に述べた天使の役割や階級、具体的な名前の登場する天使です。二つ目は美的領域での天使です。純粋に美しいものと意識される天使。絵画やイラスト、それをモチーフにした作品、アクセサリー、など。三つ目は、スピリチュアルな意味での天使です。側にいて見守っていてくれる存在と意識される天使、心の支えとして求められる天使です。 こうしたことが何を意味するのか、今はまだ結論は出せません。本来天使が生まれた宗教と重ねて考えれば、天使というものを明確に把握するのはとても難しいのでしょう。ただ、天使はこれだけ広範囲に活躍し、このサイトが触れていない天使もまた確かにいるのです。 |
[ 550] 奴隷の国家 序文
[引用サイト] http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4041/seki/doreij01.html
しかし訳者が80年以上も前に書かれた本書の邦訳を思いたったのは、たんなる名著という理由によるものではない。この訳書を世に問うた主な理由は、二つある。一つは、これから述べるように、米ソ冷戦と東西のイデオロギー対立が終った世界に、ぺロックが20世紀初頭に論じた問題がひときわ鮮明に回帰してきているからである。もう一つは、今日の日本では自由主義と資本主義が本来敵対関係にあることを知らない人が多すぎるからである。安易に自由主義と資本主義を同一視する人々(この点では、いわゆる市場万能主義者もマルクス主義者も同類である)は、反資本主義的自由主義の古典といえる本書を読んで、自由主義本来のモラルからどれほど資本主義に対する仮借ない批判が出てくるか改めて思い知ることだろう。 旧ソ連の崩壊で冷戦が終結してから10年近くになる世界は、相変らず深い混乱の中にある。90年代の初めにはこの冷戦終結という事態は、さしあたり西側が東側に冷戦で勝った「資本主義の勝利」として受けとめられた。だが少し考えてみれば、この解釈がおかしいことはすぐに分かる。この解釈は、ポスト冷戦の未知の状況を相も変らず東西対立という冷戦期の古い眼鏡で見たものなのである。そしてソ連社会主義の自壊は、それだけでは何ら資本主義を正当化するものではないし、ましてや資本主義が人類に残された唯一の選択であることを証明しない。むしろその後の90年代における内外のさまざまな経験は、資本主義に対する世の疑問と懸念を深めてきた。例えば、まともな近代経済は市場と企業の経済であることには今日誰にも異論はない。しかしこの経済はイコール資本主義体制であって、我々は今後とも大規模な失業や通貨投機その他の災いを宿命的な必要悪として甘受し、それに耐えていくしかないのであろうか。資本主義こそ民主主義であり、中国、北朝鮮、南の独裁国その他で外資の力で資本主義が発展すればこうした国は民主化されるというのは本当だろうか。それに利潤の効率的な追求という論理が教育や文化の原理を生みだせないことは、余りにも明白なのではあるまいか。 私見では、我々はいまだにイデオロギ−対立とプロパガンダ合戦という冷戦期の後遺症をひきずって生きている。20世紀は戦争と革命の世紀といわれる。訳者はこれに「戦時プロパガンダが思想にとって替わった世紀」と付け加えたい。実際第一次世界大戦を契機にウッドロウ・ウィルソンのアメリカとレ−二ンのソ連が世界を二分して以来、資本主義や社会主義という言葉は一種のときの声、戦時プロパガンダの材料になってしまい、こうした言葉で物事を深く冷静に考えることは殆ど不可能になってしまった(そして冷戦期には東西両陣営のいずれにとっても、現実ないし仮想の戦争が体制延命と国民統合の秘策であったことは言うまでもない)。 そしてここに、1912年つまり第一次対戦勃発の2年前に刊行されたべロックの本書が改めて読み直されていい一つの理由がある。この時代の人々は、まだ党派的なプロパガンダに毒されていなかった。当時も資本主義や社会主義、労働者の権利といった間題は時代の焦点と言っていいほど大きな関心を集めていたが、人々はそれを党派的偏見から自由な知的で論理的な問題として論じ合った。それは、スターリンやポル・ポトではなく劇作家のバ−ナ- ド ・ショーが社会主義を代表していた古き良き時代だった。そして迫りくる世界大戦の嵐の前の小春日和ともいうべきこの時代はまた、19世紀のヨーロッパを苦悶と激情をもって揺さぶり続けた一連の諸問題を総括し、それに対する包括的な回答を見出そうと人々が努力した時代でもあった。フランス草命からパリ・コミューンに至る流血の動乱、産業革命に伴う労働者階級の悲惨、ナポレオン戦争以後の国際秩序の再建、衰退したキリスト教に替わりうる新しい社会倫理の模索--そうした問題に歴史の高みから落ち着いて思いをめぐらすべき時が来たと人々は感じていた。だが同時に彼らは、開幕したばかりの20世紀の世界に、自由の多血症に苦しんだ19世紀とはまるで相反する何か不吉なものが社会主義や民主主義の美名の下に到来しつつあることも予感していた。 なかでも本書の著者べロックが20世紀初頭の英国に見たものは、資本主義の勝利でも社会主義への全進でもなかった。彼が本書で主張するところによれば、英国では資本家、労働者、社会主義知識人の三者の合意と協力の下に「奴隷の国家」が出現しつつあり、この英国を先頭に、近代産業社会は古代以来の奴隷制の再建に向かっている。「奴隷」とはマルクス主義者のいわゆる搾取などよりはるかに強烈な言葉だが、ベロックはこの言葉をたんに極端な比喩として使っているのではない。古代社会においては奴隷制は殆ど普遍的で自然な制度だったのであり、産業社会はそうした状態に復帰しつつあると彼は言う。 奴隷制が現代に再建される究極の原因は、資本主義の根本的な不安定性にある。どうしても不安定でしかありえない資本主義システムを何とか安定させようとすることから、労働者階級から自由を剥奪する一方で奴隷身分として生計の資を彼らに保障する奴隷の国家が生まれる。そして資本主義が不安定にならざるをえない原因は、第一にこの体制が持つ者による持たざる者の支配を意味しているからであり、第二に、この体制の現実が各国の憲法に記されているような近代の法とモラルの理念に深く矛盾するからである。この二つは互いに結びついている。即ちすぺての市民が法的政治的には自由な人間でありながら、その大多数が無産の賃金労働者でしかないとき、資本主義は不可避に不安定なシステムになる。 先に筆者は、冷戦と戦時プロパガンダの時代が終ると共に20世紀初めにべロックが論じた問題が歴史的に回帰してくると述べたが、それはこうした彼の分析のアクチュアリティに関係している。社会主義に勝とうが勝つまいが資本主義の根本的な不安定性という問題は全く未解決のままであり、今日それは暴走する巨大な国際金融機構により媒介され増幅されて、ますます極端になってきている。そしてこの不安定性を減少させるための奴隷制というべロックの議論も、歴史の現時点においてきわめてアクチュアルである。 先進諸国では1980年代以来「小さな国家」を掲げるレーガン=サッチャー流の新自由主義が強力な潮流となり、指令経済の旧ソ連が崩壊した余波もあって、市場と国家のどちらが経済運営の主体たるべきかが長らく時代の争点となってきた。だが本書を読んでみれば、大きかろうが小さかろうが現存しているのは相変らず奴隷の国家に他ならないことがすぐに分かる筈である。「市場か国家か」は、我々を振りまわしてきたニセの争点なのだ。近代社会には市場と国家のどちらも必要なのである。こんなナンセンスにかかずらうことは止め、あくまで問題は「自由か奴隷制か」であり、持つ者による持たざる者の支配が許されるかどうかであることを我々はベロックと共に確認しなければならない。 実のところ市場の自由に国家による規制を対立させる新自由主義のレトリックは、自由が持てる少数者の特権のことでしかない現実を覆い隠すための論理のすり替えなのである。そして少数者の経済的特権の観点から推進される民営化や規制緩和は、ビジネス・チャンスを拡大する以上に資本主義を不安定にする効果を持っている。過去一世紀にわたり資本主義はこの不安定性を克服するために死にもの狂いの努力をし、そこから奴隷の国家も生じた。それが今や、システムの不安定化それ自体の中にギャンブル的なビジネス・チャンスを求める方向に転じつつあるのだとすれば、これは資本主義が奴隷の国家を維持できなくなってきている徴である(そしてこの賃金奴隷制の破綻にすぎないものが「自由」などと称されているのだ)。ともあれ新自由主義や社会ダーウィニズム復活の方向にのめりこんだ今日の資本主義は、企業の収益や投資機会の点では大きな危機の中にあると見なければならないだろう。 昔も今も持たざる者に自由はない。ベロックが言うように、自由とは何よりも契約の自由に基づいて労働を拒否できる自由である。他人の言いなりになって働かねば餓死する恐れのある人間は、自由な人間とはいえない。彼には契約も市場もない(新自由主義の「市場」とは、特権的少数者にとってだけ意味のある会員制クラブのようなものである)。たとえ大企業の管理職であっても失業の恐怖に脅える賃金労働者にすぎない人間に、自己責任やら選択の自由やら リスクを冒す精神やらの自由至上主義の説教をすることは、悪質な冗談でしかない。そしてこんな現状がある以上、「市場か国家か」の論争で国家の公的権威を擁護する立場から市場万能主義を批判する左派系の人々には、それなりに理があるように見える。彼らはこの立場から市場の限界や弊害を指摘し、マス・メディアの商業主義的退廃や教育の企業化に見られるような公的領域の縮小や削減は「社会の死」につながりかねないと警告する。しかし80年代以来この種の福祉重視の「大きな国家」論者たちはずっと旗色が悪く、市場万能の新自由主義に一方的 に押しまくられてきた。これは理由のないことではない。なぜ彼らは資本主義を批判するのか。結局彼らは、そう公言はしないものの、心の片隅では相変らず、すでに歴史的な破産を宣告された社会主義を捨てきれないでいるのではないか。こうした疑念が世にあるから彼らは信用されない。しかし「大きな国家」論者が落ち目であるより決定的な理由は、彼らが既得権益にしがみつく守旧派、それも強制労働におとなしく服するのと引きかえに奴隷としての身分保障を国家に要求するような守旧派たることにある。ベロックは本書中で再三、社会主義者たちは現実には意図せずして社会主義とは似て非なる奴隷の国家を作り出すと指摘しているが、同じことが今日なお「大きな国家」論者によって蒸し返されているのだ。これらの人々は特権的所有というものを正面から攻撃しない。だから彼らは自分では持たざる者を代弁しているつもりなのかもしれないが、実際には国家の権威と大衆の奴隷根性を代弁しているだけなのである。 20世紀の先進産業社会には奴隷の国家が出現した。この国家は、資本家・労働者・社会主義的知識人の合意と協力のうえに成立し、大衆の奴隷化を条件とした資本主義の安定成長を可能にした。しかし今、奴隷の国家のきしみはひどくなってきている。資本家は企業収益の低下や投資機会の縮小に直面し、労働者はリストラの大波の下で奴隷身分の安心と安定を奪われ、知識人は公的使命を見失った。それでは、この国家体制からの出口はどこにあるのか。ベロックの反資本主義的自由主義は、どこに隷属からの解放の道があると指さすのか。そうした解放への道はかつて在ったし今も在る。だがその道に辿りつくためには、まず奴隷の国家がいかにして出現したかを知らねばならないだろう。だからもうそろそろべロックの言葉に耳を傾けて頂くことにしよう。 |
[ 551] 東京大学フィレンツェ教育研究センター活動記録(1999-2006年) 序文
[引用サイト] http://www.l.u-tokyo.ac.jp/firenze/firenze01preface.htm
東京大学フィレンツェ教育研究センターは、東京大学海外学術交流拠点の1つとして、イタリア・フィレンツェ市に1999年3月5日正式オープンした。元フィレンツェ市長宅を全面改装した施設は、中央駅からほど近いボニファーチョ・ルーピ通りに面する建物内部に設けられた。 フィレンツェは、周知の通り、西欧近代の幕開けとなったイタリア・ルネサンスの中心都市であり、その輝かしい過去を物語る文化遺産を今なお豊富に有し、世界中から多くの人びとを呼び集めている。このトスカーナ地方の都はまた、フィレンツェ大学のほか、数多くの研究所、アカデミー、図書館を擁し、市内や近郊にイタリア以外の大学・研究所の施設が集中する学術都市でもある。なかでもアメリカは、ハーヴァード大学をはじめ、多数の大学が分校や研究施設をもち、その多くが、自国の学生のために恒常的に授業を行っている。 東京大学教育研究センターも、それらフィレンツェに集まる学術教育機関と同じく、東京大学における教育・研究を充実させるべく設立されたものにほかならない。すなわち、学術の国際交流を図り、東京大学における教育・研究の一層の発展に寄与することを目的に発足した。本センターは、フィレンツェないしイタリアにある大学などの高等教育研究機関、研究所、学術団体、美術館などとの交流の調整・推進基地としての役割を果たすべく、具体的には、東京大学と学術交流協定を結んでいるフィレンツェ大学や、古くからフィレンツェにおける知識人の交流の場であったヴュッスー資料館、また日本美術品の収集で知られるスティッベルト美術館などとの交流を図った。 なお、本センターの運営全般は東京大学大学院人文社会系研究科長のもとに置かれた「東京大学フィレンツェ教育研究センター運営委員会」が担当し、2001年8月以降はフィレンツェに派遣された土肥秀行・同研究科助手(当時)が現地での活動を担った。さらに、2004年8月以降は鷺山郁子・フィレンツェ大学文学部教授をセンター顧問として迎え、センター活動への協力を得た。 本センターでは開設一周年を記念した国際シンポジウム「日本の中のイタリア・イタリアの中の日本」(2000年10月)をフィレンツェ大学で開催して以降、センターの内外で定期的に学術講演会・セミナー等を継続的に催した。そうした催しに際しては、東京大学所属の研究者のみならず日本・イタリアの諸機関から専門家を講師として招聘し、主に日本美術・文学・映画等をテーマとして掲げた。2003年3月には「洋の東西の美術と思想にみられる死後の世界観」と題した国際シンポジウムを、東京大学大学院人文社会系研究科・21世紀COEプログラム(「死生学の構築」)の一環として、ピサ高等師範学校、フィレンツェ大学、パドヴァ大学の協力を得て開催した。 その後、2004年8月、ボニファーチョ・ルーピ通りにあった専有スペースを離れてフィレンツェ大学文学部内に移転し、さらに強固となった外部団体との協力関係をもととした活動を展開した。2005年秋から2006年7月にかけてのセンター活動最後の期間は、2つの大きなシンポジウム(中国・日本・イギリス・イタリアの推理小説について、能楽について)の開催などにより実り多きものとなった。 次に紀要全3号分の目次を日本語で掲げる。紀要の使用言語はイタリア語だが、各号の巻末には和文アブストラクトが付されている。 |
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