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[ 623] 住みたいところに住める俺
[引用サイト]  http://remote.seesaa.net/

池田信夫blogの10年は泥のように働けには笑わせてもらった。日本の年功序列型の賃金プロファイルは、若いとき会社に「貯金」し、年をとってからその貯金を回収するようになっている。これは、実はグラミン銀行などと同じ村落共同体型のガバナンスだ。ちょっと前に私も会社と個人の関係の日本とカナダでの違いというのを書いた。まさに村社会。「入社して最初の10年は泥のように働いてもらい、次の10年は徹底的に勉強してもらう」というのをどっかのじじいが仰ったそうだ。定年になった知り合いのおっさん(朝日系系列子会社役員)が愚痴っていた台詞を思い出した。・最近、本社からの天下りでいきなり社長になったやつが、となりの部屋にいるのにメールで指図してきた。失礼極まりない。・我々が若いころは、会社で問題があったら休日も手弁当で対応したものだ。最近の若いやつは....(以下略)こういうのを老害というのでしょうな。それなのに、経営者がそれを自覚していないばかりか、若者に丁稚奉公を説教する現状は、きのうの記事のアップルと比較すると、絶望的というしかない。日本のIT産業を救う道は、マックス・プランクの次の言葉しかないのだろう ― Science advances funeral by funeral.それは時間的な意味として、やはり絶望的ということ意外ない。どうやら自滅したいらしいですな。
Bell Canadaというカナダ最大手のキャリアに仕事に行ったときのことである。休憩するためにオフィスにあるキッチンに立ち寄った。Bell Canadaの担当者とコーヒーを飲んで雑談していた。壁には大きなホワイトボードがあった。何気なく見ると、落書きみたいなかんじで、各国の言語で挨拶の言葉なんかが横に並べて書かれている。英語、フランス語、ドイツ語、中国語、韓国語、ベトナム語、ロシア語、ヒンディー語等々だ。日本語はない。「日本人のエンジニアはいないのか?」「うーん。このオフィスには日本人はいないね。」オタワにも世界中からエンジニアがきているが、一年ほどたっても日本人のエンジニアにはあったことがない。知り合った日本人は国際結婚した女性がほとんどだ。日本人の母数から考えて他の国と比較すると、相当移住しない国民性なんでしょうなあ。まあ、外に出なくてもいいぐらい、すばらしい国ならそれでいいんだが。NewsweekにもThis Nation Is An Islandとか書かれているし。(こちらは資本鎖国の話)
池田信夫blogの人材鎖国のエントリーが興味深い。この10年で、日本のエンジニアの数は1割へった。特にITゼネコンは3K職場というイメージが定着してしまったため、優秀な学生は外資系を志望する。妻と私も二人分、これに貢献したことになりますな。それでも79%の日本企業が「外人エンジニアを雇う気はない」という。それはそうだろう。Skilledエンジニアの多くは、安月給で働いてくれないし、日本語できないし、空気読めないし、残業しないし、すぐ辞めるし。そんな要求を受け入れられる我慢強いエンジニアは日本人以外ありえない。根本的な問題は、ここまで若者に嫌われても直らない、ゼネコン型の多重下請け構造にある。さらに言えば、非若者はそれが問題とは思っていないということであろう。正社員だけを過剰保護する雇用慣行のおかげでSI業者が人材派遣業になってしまったため、企業のコア部門にITのわかる人材が育たず、情報システムでイノベーションが生まれないから若者のIT離れが進む・・・という悪循環が急速に進行している。分かっていないということすら自覚していないおっさんが、思いつきだけでいろんなことやるか、あるいは口の達者な企画担当の口車に乗せられて変なことをやリ出すのが多かったりする。そこにイノベーションはない。資本鎖国を求める日本経団連でさえ人材鎖国には危機感をもち、外国人材の受け入れを提言しているが、厚労省は動かない。そうは言っても、外国から人材を受け入れたいなら、そもそもそれに見合うものを提供できないと、誰も来ないと思われる。忍耐強い日本人エンジニアすら引き止められない状況でどれくらい外国人エンジニアを呼べるだろうか。まあアメリカなどの移民受け入れ先進諸国に受け入れてもらえなかった"Skilled"エンジニアなら来てくれるかもしれないが。知り合いの人材派遣会社の課長が言っていた話だ。「最近は、エンジニアが全然いないよ。景気がいいからじゃなくて、質が悪すぎる。こんなのエンジニアっていって、派遣していいのかって思うのばっかりだ。そんなの派遣しなきゃいけないから、ほんと嫌になるよ」お前が言うな。以前、とある有名な会社と仕事をしたときに驚いたことがあった。その会社が出してきたモジュールのJavaのClassが一つなのだ。なんと、何千行ものコードが一つのjavaファイルで作られていた。そして、そのファイルを作った担当者は派遣社員だったのでもういない。そして、そのファイルは、実際のプロダクトに使われているので、後任はだましだまし使っている。(肥大化が進む)どうやったらそんなコードを書けるのか聞きたい。それはもう一種の才能であろう。すごいイノベーションである。
子供のころ、一度は憧れたことがある人も多いのではないだろうか。そう。それは、ハンモック。こんなのが自分の家の庭で出来たらなーとか思ったことがあった。が、日本の家だと、・庭が狭い(あるいは無い)・植木が細い。・植木が密集している。・蚊が多い。・暑苦しくて、全然快適じゃない。などの理由で、まったく実現できる状況ではなかった。それが、カナダでは自宅の庭で簡単に実現できるのである!IKEAで29ドル。足タレは長女6歳。日本のIKEAでは同品がなぜか4490円。(一物一価なら150円/ドルですな。)日本では、自由にハンモックできないとお嘆きの方は、ぜひカナダ移住を!(引用元こちらですが、本文とは関係ありません..)
今JAXAが10年ぶりに宇宙飛行士を募集(pdf)している。書類選考から第三次選抜まで数百倍の難関である。選ばれるのは、語学力、健康、学歴、運動能力、医学的倫理学的特性を期待される人材である。選ばれた後に、何年もかけてトレーニングがあるが、宇宙に出られるかどうかは分からない。宇宙飛行士に選ばれたとして、スペースシャトルからステーションに行けるとする。あくまでも未知の世界への挑戦であり、旅客機にのるような安全性は期待できない。さらに、かつての宇宙飛行士のような名誉職でもなくなっている。毛利衛さん、向井千秋さんのような知名度は期待できない。宇宙航空研究開発機構職員給与規程によります。○採用時本給大卒 30才 約30万円大卒 35才 約36万円なめとんか。○諸手当:扶養手当、住居手当、通勤手当、特殊勤務手当、他特殊勤務手当、これが本給より多いことを望む。いい加減、年齢で給料きめるのはやめてほしい。これだけの基準で選ばれる人が、どういうポジションでどういう仕事をしているか少し考えてみれば、どれほど異常なことか分かるだろう。勿論金だけじゃないが、宇宙へのロマンで人を集めようとするのはどうなのだろうか。しかも(9)10年以上宇宙航空研究開発機構に勤務が可能メーカーいじめだけが生きがいの腐ったおっさんの巣窟のなかで、余生を生きていく辛さを考えると、涙なしには語れまい。実際、どれくらい応募があるかは担当者としては気が気ではないはずだ。数百倍というのは実は彼らの期待しているものより低いだろう。NASAの場合は、個人の能力により一年で$65,140から$100,701だという。ちなみに学生の時に応用物理学会で毛利さんと同席する機会があった。そこで喜んでサインを貰ってしまったミーハーな自分を心から恥じる。毛利さん、あの時はすいませんでした。若さゆえの過ちでした。
平均世帯所得の指標が興味深い。オタワで900万円弱か。日本のサラリーマンの平均所得が440万ぐらいで、平均世帯所得が580万ぐらいであることと比較すると、かなり多い。他の街でもおおむね日本の平均よりは多いことになる。(皆5時6時には帰るというのにだ)
会社にとっては、一人が16時間働いてくれるほうが、二人が8時間働くより、相当安上がりなので(ワークシェアリングの反対)、日本では現在のワークスタイルは重宝がられるのは分かるが、個人にとっては、どっちが幸せなのかと考えさせらる結果である。(不動産価格の違いはどうしようもないが)
北米でもかつては、働く夫と家庭を支える妻、というのが美しいスタイルであった。それが無くなった現代において、妻もフルタイムで働いているのに、夫が残業しまくりで家に帰ってこない(育児家事に関わらない)というのは即、離婚の事態であろう。
そう考えると、残業なしの夫婦で協同生活というライフスタイルというのは、合理的な経済活動であると言えよう。
ではなぜ、会社の存在感がなぜ日本とカナダ(多分北米)でそうも違うのか。会社と人との関係を比較すると、以下のように喩えるのがいいかもしれない。日本の場合は、やはり土着の農耕民族に喩えられる。重要なものは、土地とそこに住む人である。なので、村での人の出入りがあまり無いほうが好ましい。村には、必ず重鎮がいる。重鎮の言うことは絶対である。昔豊作だった時代のことをいつまでも忘れていないので、その経験を元に判断する。若い世代は、それではうまく農作物が育たないことが分かっているのだが、なかなかそれをうまく伝えられない。とりあえず、足しげく田畑に通って、収穫率の低い農作物を丁寧に育てるしかない。儲からないのは分かっているが、将来にわたって安定した収入が得られることがもっとも安心できる。この安心感が最重要である。だから米を作っていた人が、減反によって、野菜を作ったりというような方向転換を行うこともある。ノウハウもないし、すぐに利益も上がりにくいが、その土地で何とか食べていくためには仕方が無い方向転換である。一方で、こちらはやはり狩猟民族的だ。集団で狩をするという意味では、漁業が近いかもしれない。会社は船であり、社長は船頭だ。船は大型船もあれば、ボートみたいなものもある。ある船が、マグロを追っていたと思ったら、業績によって、そのターゲットを鰯に変えてしまうこともしばしばだ。そのときに、マグロ漁の専門家は存在価値を失う。鰯漁のために、一から勉強しなおすということより、他のマグロ漁船に乗り換えるほうが多い。その人が有能、無能というより、鰯漁にマグロ漁の専門家は要らないからという判断で船を下りてもらう。不要だといわれたほうも、別のマグロ漁船に乗り込むだけの話だ。なので、個人にとって重要なのは何の専門家なのか、ということである。それがあれば船を乗り換えることにそれほど違和感はない。こちらに来て思うようになったのは、人間関係とかでねちねちしながら、田畑にこだわるより、自分の武器と弱点を知って、船を乗り換えるほうが、個人にとっては幸せなんじゃないかということだ。自分のプロフェッショナルとは何ぞやというところを明確に出来て、わかりやすい。頑張りがいがある。休みたいなら辞めろという話をどっかのおっさんがしていたらしいが、その理由が、休んでのんびりやっていたら会社が潰れるとか成長しないという話だ。その感覚はまったくこちらには存在しない。そこまでやらないと続かない田畑なら潰せば?という発想なのだろう。個人個人が、その田畑と心中しないといけないところまで取り込まれて、幻の安定をちらつかせられて働かせる。それを好とする人はあまりいなさそうだ。勿論、どちらのやり方が正しいかとはいえない。ただ、そこで働く一人一人がどれくらい充実感とか幸せを感じている(あるいは考える必要もない)かの総量の比較はしてみたい。能天気なカナダ人を見ているとそう思う。とはいえ、もし自分が村の重鎮だったら、彼らと同じこというだろう。それが自分の生きる術なのだ。彼らは彼ら自身のための最善の方法を選んでいるに過ぎないのだから。
前職を辞めて、約1年がたった。振り返ってみると、自分の状況の変化に対する受け止め方の変遷が興味深い。まず最初の数ヶ月は、意味も無く不安な感覚があった。その不安感がなんだったのかというとシールド(盾)を失った恐怖感だったのかもしれない。だが、盾というような表層にあって、体を守るものを失った感覚とは少し違う。どちらかというと、もっと多くの体積を占める部分が無くなった感じだ。陳腐な表現だが、定年退職した人が「胸にぽっかりと穴があいたような」というようなことをいうが、そういう感じなのかもしれない。会社を辞めようと思って一年ぐらい変人道を貫き、18時に帰り、人事には「早期退職ないっすかー」とか、平気で言ってて、未練も無いわ!とか思っていたのにである。これには自分でも驚いた。恐らく高度経済成長の末裔の、企業の成功=個人の幸せ的な成功体験によって作り出された見事な刷り込み行為がしっかりと自分にも埋め込まれていたということなのかもしれない。私より若い世代には恐らくこの感覚は希薄であろう。そんなわけで、カナダに来た当初は不安感もあったのだが、周りでどんどん人はクビになるは、辞めるは、雇用されるはという現実をみていると、それがすっかりどうでもいいことに気付いた。ぽっかりあいた穴か、体を守る盾か、そういった空間を今の会社はまったく埋めてくれない。そういう存在ではないのだ。あるのは、自分の人生は自分で切り開いていくという当たり前のことなのだ。会社なんてそのための道具でしかないのである。考えてみれば、会社の存在なんて恐ろしく抽象的である。会社の存在はブランドか社名か、社員か、製品か、何が作っているのか曖昧だ。ある意味お金とかと同じで、人間が作り出した便利な偶像でしかないのだ。年末になって皆で騒ぐクリスマスにおけるサンタクロースみたいなものだ。皆で言ってれば、本当にサンタクロースが存在するような気がしている。そのサンタクロースのために命かけるのはどうかと思うのだが、どうだろう。
杉原輝雄というプロゴルファーがいる。尊敬する人とかいうのもおこがましいぐらい、凄いプロフェッショナルである。非常に自分に厳しく、他人に優しい人である。例えば、人と約束したときは、30分前にはそこに着くように出かけるという。渋滞かなにかで相手に迷惑がかからないようにということだろう。コースでも後ろのパーティのことを考えてか、打つとボール目掛けて、すぐに走る。そんなことをするプロは普通いない。縁があって、私が学生の頃に家族でご自宅に何度か呼んでもらったこともあった。ゲストにも恐ろしく気を使う人だった。例えば、いいワインをどんどんあけて、ゲストのグラスが空くとご本人がすぐに注いでくださった。ジョークも途絶えることがない。奥様も気さくで明るくて楽しい方だ。こちらは緊張して、何をしゃべっていいかも分からない状態なのだが、和やかに迎えてくださった。試合中、普通のプロだと神経を集中させているため、観客と話をしたりすることも少ないが、杉原プロは私たちを試合中見かけると、ニコニコと近づいてきて、「ああ、来てくれたんか。後で食事していけるやろ?クラブハウスで待っとってや。」とか、気さくに声をかけてくださったのを今でも覚えている。いや、そんな我々のこと気にしてもらわんと、試合に集中してくださいよ!とかこっちが気になるぐらいだ。1997年に前立腺ガンが見つかって、手術するか、投薬治療をするか、という岐路にたった。手術をすれば、半年ほどはゴルフが出来なくなるというので、投薬治療の道を選んだ。普通の人だったら、手術すればいいのに、で終わる話かもしれない。ただ60歳近くになって、手術して入院することは選手生命を絶たれる可能性もある。70歳になった最近になって、リンパ筋に転移している可能性があることが分かった。「転移していたら大変やが、気にしても仕方がない。(がんに)立ち向かっていくしかないよ。」 「可能性としてはリンパ節に転移していることもありうる。だとしたら、あと何年ぐらい生きられるか。3年とか5年とかかもしれん。そりゃ、気分的には決してええもんやない。でも、この年まで生きられたんやし、しゃあないやろ。」「(手術を勧めた)医者の言うことを聞かなかったが、後悔していない。」試合後に、他のプロがクラブハウスでのんびり食事とかしているときに、一人雨の中でその日冴えなかったバンカーショットの練習をしている杉原プロ。そんな話は枚挙に暇がない人だ。シニアに出る歳になっても、現役のツアー出場にこだわった。「シニアに出るためにプロになった訳やないからな。」世界最年長予選通過記録を68歳10ヶ月で作った。優勝回数は国内男子プロとしては尾崎将司、青木功に次ぐ歴代3位だという。 勿論本人は無理して、苦労してゴルフをやっているつもりはないだろう。好きなゴルフをやって死ねるならいいと思っているに違いない。寧ろ死ぬまでゴルフをやり続けたいのだと思う。こんな風に仕事を生涯続けられるのは幸せなことであろう。こういう人をプロというのだ。

 

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