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語っとは?/ プロミス

[ 417] 究極に美しい日本語ってあるの?:VIPPERな俺
[引用サイト]  http://news23vip.blog109.fc2.com/blog-entry-1125.html

こういうの見るたびに思うんだけどさりげなくお前らってセンス良いよね
どんな時代でもどんな人にもちょっとずつそういう風情を感じ取る何かは
あるんだろーなーと夢を持たせてもらいました。まる。
おっぱいは確かにおっぱいという感じが良く出てるw
外国語で胸じゃなくておっぱいをあらわしてる語でおっぱいほどおっぱいなものってある?
俺的に「さ行」って爽やかな感じがするんだよ

で、「風流」って言葉
すごい爽やかな響きで漢字も流れるように綺麗
なのに読みに「さ行」が入っていない

すごい組み合わせだと密かに思ってる
蝉時雨は言われてみれば凄い言葉だよな。響きといい字といい美しいと思う。
四字熟語でなら百花繚乱が好き。
あと五月雨とか、小夜時雨(さよしぐれ)、狐の嫁入りとかの雨に関する言葉は美しい気がする。
ここに載ってるのとはなんか違う気がするけど、
感触をあらわす言葉が好き。
ざらざら とか ふわふわ とか。
「すっかり」とか「けれども」とか何故か好きだ。

そしてこれらの単語を使った宮澤賢治の文章が好きだ。
本当に気持ちのこもった「ありがとう」だな。
上辺だけの普段使ってるようなのじゃなく心底ありがたいと思ったときの。
聞いてる第三者すら心が洗われる。
小川がさらさら流れる

さらさらなんて表現
ほかの言語でどうあらわすんだよ

日本語しかしゃべれないけど
いただきますって無いんか。
シンプルやけどこれほど日本人の美の心を表してる言葉って少ないと思う。
いただきますって言うたび日本人に生まれて良かったと思うもん。
えんぴつをけずる、って言ったときの「けずる」って響きがなんともいえない

他のもので「けずる」って言ってもなんだかぐっと来ないけれど
「桜華」と「さくらむすび」はエロゲのタイトルの癖に美しすぎる

・・・・ストーリー?気にしなくていいよ
「拉致にこだわる日本をはずして5ヵ国協議とし、とりあえず核問題だけでも解決の糸口を探ったほうがいいのではないでしょうか
拉致問題は基本的に二カ国間の問題ですから他国を巻き込むのはいかがなものかと思います

拉致問題に対する安倍内閣の対応を見ていると、つくづくアレに似ていると感じ。
「健康のためなら死んでもいい」という健康オタクです。
拉致問題は確かに重要案件かもしれませんが、それがすべてに優先するわけではない。
でも、安倍は外国に行くごとに拉致拉致拉致拉致言ってほかの事はなにも言いません。
拉致問題さえ解決すれば、他の日本人がすべて滅びてもかまわないかのような態度に見えます。

拉致家族にしても私は軽い違和感を覚えます。私は子供をなくした経験がありますが、
「めぐみちゃん」はちゃんと育って、結婚までして、あまつさえ子供まで儲けています。
私の目から見ると信じられないくらい幸福です。なのにその幸福に感謝もしないで、
いつまでもいつまでも「めぐみっちゃん」とか不幸面してられるアンタが心底うらやましいよ、とTVを見るたびに思います」

瀬尾佳美 青山学院大学准教授
御御御があって本当によかった

御なんていう最上級の文字を
3つも使うこれ以上の言葉を
しらないんだ

音読みより訓読みの言葉のほうが上品な感じがする。
訓よみはすべてをひらがな表記にしてもよみづらくならないところがいい。
因みにおん読みを平仮名ひょうきにするといみがりかいし辛くなる。

>>23の「ベニヤ板」って、
ネバネバした感じの、くせになるきもちよさがあるけど
いったいどういう意味でつけられたなまえなのかな、とおもってしらべたら
vennerって英単語なのね。
回文は素晴らしいと思う。海外ではこんな美しいことが起こり得るのだろうか?たけやぶやけたわたしまけましたわ
過労死は海外でも通じるらしいな

日本語は雨の表現が多い、そして美しすぎる
自然を表す言葉なら日本語が最強

でも愛を表現するのは少ないという、恥ずかしがりや
何かでやってたけど
“お疲れ様”って疲れに“お”と“様”をつけるって聞いたときは
きれいな日本語だと思った
君が代だろ。

いろは全部の語を重複無しで一回ずつ使い、
それで美しい詩になってるとか究極すぎだろw
※73の言いたい事はすげぇわかるw
だけど意味不明だなw

どっかで「おっぱい」の単語としての素晴らしさを細かく語ってる奴がいたな

雨の種類とか、色の種類の和名とか
多くて綺麗だよね。あと、月の名前とか水無月とか
数の数え方とかも綺麗だと思う。
お前らが意気揚揚と書いてるその字、漢字は中国から伝わったものであってな・・・
日本オリジナルの「文字」存在しないんだよ っていうツッコミはなしか
ながきよの とおのねぶりの みなめざめ
なみのりぶねの おとのよきかな

いろは唄と七福神の回文はガチ。
単語もいいが、日本語の真骨頂は詩歌にあると思う。
美しさと表現の幅が半端ねえ。
「言祝ぐ(ことほぐ)」って言う言葉がいい
やわらかくてあったかい感じ
「祝福する」っていうと音がとんがっててどうもね
キリスト教的なイメージが強いせいもあるかも

 

[ 418] 中卒の私が学歴について語ってみる - $ dropdb 人生
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/dropdb/20080525/1211703385

「上にはぐれた連中」を見て、「オレも大丈夫」と言う前に、自分がどっち側にはぐれているのか確認しておきなさい。
俺は県立高校を卒業しましたが、相手の女性は中卒だそうです。学校も行かずに彼女が何をしていたのかは知らない、男と遊んでいたのか、
ちがうよ、全然ちがうよ!一応、陸上部の推薦で高校の体育科に進み、1年は在校していました。恋人はもちろん己の筋肉でしたwwwマッチョ女wwwですwww大会出場で記録*1を出したりと頑張ってきて、小学生からの夢であった陸上の選手になってオリンピックに出る!が現実になるのかなとwktkしていた矢先に、ドクターストップ。
運動が出来なくなった今、脳みそまで筋肉になっていた私に残されているのは何もなく。スポーツ選手として生活できないのになぜ体育科にいるんだろうと思い退学。ぶっちゃけるとちょうどその頃、父が借金を残して失踪。家庭がカオスだったのもあるwwwうちのママンは外人で日本語が不自由だからパートくらいしか出来ず、私も学校辞めてバイトを3つ、4つ*2掛け持ちして家計を助けることに。この間にも家庭にイロイロあって辛かったが略すwww辛いときほどwww草が生えるのは2ちゃん脳www
ママンの国に帰郷すれば、それなりの生活はあったけどなぜ帰らなかったかというと、下の弟妹が小さく日本の義務教育を卒業させたいってのがあったから。弟妹も日本を離れたくなかったみたい。ママンは外人で親戚もいない、言葉も通じない国で子供3人を育てるタフネスすげぇwwwと思っていた。
携帯電話で片手間にアーティストのファンサイトをはじめたら、少しずつヒットするようになった。いろんなファンサイトを参考にして、派手に面白くするにはHTMLを覚えなきゃいけないらしい。本を買って携帯電話でHTMLをいじるようになった。マーキーとかwww
当時は、パケ放題プランはなくて通信料が8万円 / 月もかかってしまった。それを7ヶ月繰り返した*3ところでママンが自分の国の言葉でブチ切れる。わけもわからないから怖いwwwもうしませんもうしませんと、その場で携帯へし折って誠意を見せた!
でも、作りかけのファンサイトが気になって唯一つながりのある父親方の親戚、いとこのお兄ちゃん*4に相談したらパソコン買ったほうが安いと言われて、スポーツ筋肉脳だった私は『パソコンヲタとかキモーイwwwギャハハハwww』とスルーしそうになったがパソコンはなんだかスゴイモノだと説得され購入することに。
パソコンが届くまで、パソコンについていろいろ調べておいた。プロバイダ契約が必要だってこともしらなかった。コンセント入れたら通信できるんじゃねーのかよwwwと何もかも素人だったけど、いざパソコンがきたら携帯電話の画面でHTMLをやっていたのと比べて液晶でけーwww通信はえーwwwってのもあってひたすらのめり込んだ。
ここが引きこもり時代。ずっとパソコンと向き合ってた。で、縁があって東京のシステム系の会社に勤めることに。今でも素性のわからない子を雇ってくれた社長は恩人として感謝しています!
まぁ、中卒・高校を中退するに至るまで人それぞれ理由があると思うので一概にどうとは言えませんが、学歴を理由に何ができないとかそういう考えはよくないかなぁと思っています。あとはやっぱり、人生はチャレンジかなー!と。(暑苦しいwww)
ずっとスポーツしかやってこなかった私が、パソコンヲタきめぇwとバカにしていた私が、人からのすすめでパソコンをやることを否定せず、じゃあやってみるか・・・という気になったのはよかったです。食わず嫌いというのは損するんだなぁと。とりあえずいろいろやったらいいと思いまーす。
泣きはしなかったけど。ウルウルしてしまった。あるよなー、そういうこと。何があるか、わからんよ、人生は。
草w←の数が少なければ泣かせたのかもしれない!wなんて。何があるかわかりませんね、人生って。。しみじみ。
同じく高校中退したヤツが通りますよと。中退の理由も、そのときの状況も違うけどね。つらい状況の中頑張ってる姿を見ると俺も頑張らなきゃと思います。
これからは学歴より努力と実力が反映される世の中になってきましたよね。ただ中卒だとチャンスまで辿りつくのに難有りかもしれないので気合いれて自分で何かおっぱじめるってのが良いですな。実力は努力しだいでどうにでもなるし
おっ、ハーフ&家庭崩壊仲間じゃんwいろいろガンガッたね。ちょっと分かるよ。偉かった。よすよす。あと、社会に出てるのに学歴が関係ある職場はノミニケーション重視とかそういう意味の無いとこだから、関係ないっしょ?つかえない奴は学歴にスガらないと自尊心保てない。生暖かい目でみてあげよう。
そういや、中学の頃同じ部活だったけど、キツイ部活で精神やられて引きこもってしまったやついるんだよな…。俺もあそこでへたすりゃ今頃ヒッキーだった…というかそいつが引きこもったのって、俺がやめた後だったし…(´゜’ω゜`)いろいろあったけど、母親には感謝してます。学生出来てるだけありがたいと思う今日この頃。
凄いなぁ。漠然と生きてきて流れるままにPGやって今に至る俺とは大違いだ。苦労してる人ってかっこいいな。(こういう言い方自体、えれー他人事目線だな、おい)他人の大変だった過去を勝手に美化するのはおこがましく、それを羨ましいと思う自分が情けないような。でもやっぱり、その強さが羨ましいような。
おいら、高卒なのに女子大の非常勤講師させられたことある。知の高速道路? おいらの授業じゃ「痴の高速道路」だったと思うが・・・でも、キャタピラ装備のおいらの走り方を、ロイヤルサルーンな女子大生にしてもあまり意味はなかったような気が・・・
dropdbさま、はじめまして。例の、人騒がせな劇場の管理人です。そのはてなスターのアニメーションgifがとてもすばらしいと思っているのですが、そのアニメーションgifのオリジナルの作者を知りたいです。もし、ご存じでしたら、かつ、差し支えなければ、教えていただけると幸いです。# もしかして、dropdbさんのオリジナルですか?よろしくお願いいたします。
昨日はども。あんなところで会うとは思わなかったw学歴は保険。だから掛け捨てになることもある。途中さぼっちゃうと学歴あっても意味ない。と、さぼった俺が言ってみる。それにしても足はえー。俺の高校の時のベストと変わらん・・・。

 

[ 419] 東京大学”五月祭”で岡田耕始氏が『女神転生』誕生秘話を語った - ファミ通.com
[引用サイト]  http://www.famitsu.com/game/news/1215408_1124.html

2008年5月24日、25日の2日間にわたって東京大学の本郷キャンパスで開催されている”五月祭”。各種催しや研究展示が行われるこの学園祭の開催初日に、人気RPG『女神転生』シリーズのプロデューサーを長年にわたって務めてきた、ガイアの岡田耕始社長が”『女神転生』誕生秘話”と題した講演会を実施。同シリーズの開発経緯や、ゲームの世界観などについて語った。
 『女神転生』シリーズは、西谷史氏の小説『デジタル・デビル・ストーリー』を軸とするメディアミックスコンテンツのひとつとしてスタートした作品。ゲームでの展開は、’87年に第1作目『デジタル・デビル物語
女神転生』が、'90年に第2作目が、それぞれナムコ(現、バンダイナムコゲームス)からファミコン用ソフトして発売。メーカーがアトラスに移ってからは、『真・女神転生』シリーズや『ペルソナ』シリーズといった数多くの続編、関連作が勢力的に発売され、その人気は日本はもちろん世界にまで広がっている。岡田氏はシリーズ立ち上げ時からディレクターとして作品に参加し、2003年にアトラスを退社してガイアを立ち上げるまで、ほぼすべてのタイトルに関わってきたという、『女神転生』シリーズのすべてを知り尽くしてるクリエーターとも言える存在だ。
まず最初に語られたのは、シリーズ第1作目の開発経緯について。小説『デジタル・デビル・ストーリー』をゲーム化するとき、岡田氏はストーリーラインの取り入れかたにもっとも頭を悩ませたと語る。岡田氏は、「スタートしていきなり「あなたが勇者です」と言われる」などの”お約束”が存在しない原作のストーリーに感銘を受け、できるだけすべてを盛り込みたいと考えていた。しかし、ファミコンでは容量的にそれが不可能。また、たとえ盛り込めたとしても「ゲームはユーザーが介入することで進行するインタラクティブ性の高いメディア。小説をそのまま持っていってもおもしろくなるわけではない」(岡田)という疑問もあったという。加えて、岡田氏にはもうひとつ大きな悩みがあった。第1作目の『女神転生』は原作こそあるものの、内容に関しては企画が先行してスタートしており、当初から”仲魔システム”や”合体”などのシステム入れ込むもことがある程度決定していたことだ。物語の魅力を失わず、かつゲームとしてもおもしろい……開発はこれを念頭に置いたうえで、取捨選択をするというスタイルで進められた。
その結果生まれた作品に対して、岡田氏は「ただ広いだけのダンジョンが残ってしまいました(笑)」と若干厳しめの自己評価をしていたそうだ。とは言え、いままでにないシステムや、単純な勧善懲悪ではないストーリーが評価され、結果的にヒットを記録。その後『女神転生』シリーズは、「多少売れたことにオゴリもあって、2作目からはオリジナルストーリーで展開させてもらいました(笑)」と岡田氏が語るとおり、原作を離れてひとつのRPGブランドとして展開されていくことになったのだ。 
 『女神転生』シリーズの特徴と言えば、さきに挙げた仲魔システムや合体が代表的だが、多くの作品でゲームの舞台が現代および近未来に設定されている点も外すことはできない。なかでもスーパーファミコンで発売された『真・女神転生』は、東京に住むごくふつうの少年が、母親からコーヒー豆を買ってきてと言われるところから物語が始まるという日常的な雰囲気からスタートする作品。このほかにも、時代や設定は異なるものの多くのシリーズ作品に東京、もしくはそれに近い近代的な街が登場する。この理由について岡田氏は、「東京は世界でも稀に見る”破壊と再生をくり返す都市”。明治維新、関東大震災、東京大空襲。政治、経済的にも変動が激しいですしね」と説明。我々にとっては身近な”東京”だが、岡田氏に言わせれば、その存在感はRPGの舞台における王道”ファンタジーの世界”や”中世ヨーロッパ”と並べても、決して見劣りするようなものではない、というわけだ。
早くから、マルチストーリー、マルチエンディングを取り入れた作品が発売されていた点も『女神転生』シリーズの特徴のひとつと言えるだろう。物語の分岐は”ロウ(秩序)”ルート、”カオス(混沌)”ルートという相反するものが採用されているのだが、ここに岡田氏は「必ずしも秩序が正しく、混沌が悪いものなのか?」という思いを込めたと説明する。 
 『女神転生』シリーズは、さまざまな宗教の悪魔が敵として登場するということで、日本に比べて宗教問題にシビアな海外での展開は長いこと見送られてきた。しかし、『ペルソナ』シリーズからは一部悪魔の名前を変更するという形で、海外での展開もスタートし、十分な成功を収めている。現在はアトラスを離れてガイアに所属する岡田氏だが、海外メディアからは、いまなお「また『女神転生』のような作品を作らないのか?」という問い合わせを受けるという。海外をほとんど意識せずに作った作品がこうして受け入れられているのは、ゲームがおもしろいということを前提としたうえで、岡田氏の”善”と”悪”に対する疑問という、普遍的なテーマに寄るところが大きかったのかもしれない。 最後に岡田氏は「どうやったら遊ぶ人に楽しいと思ってもらえるか? ありきたりなソフトとは違うものが作れるのか? それを考え抜いた結果にオリジナリティーのあるゲームが生まれてくるのだと思います」と自身のゲーム哲学を語り、講演を締めくくった。 
▲講演終了後は、”神社・神道研究会”の学生と原作小説『デジタル・デビル・ストーリー』を描いた西谷氏を招いてディスカッションも実施。この中で岡田氏は、『真・女神転生』を作り続けていく中でマクロな世界観を描くことに限界を感じ、そこから『真・女神転生
ファミ通.comに使用されている画像を無断で転載、加工などを行った場合、処罰の対象となることがございます。

 

[ 420] 日本語って変かも (内田樹の研究室)
[引用サイト]  http://blog.tatsuru.com/2008/04/23_1545.php

日本の地政学的辺境性あるいは文明論的辺境性という補助線を引くことによって、日本の「ありよう」を再解釈しようという野心的な企てである。
原日本語(大野晋先生によれば、もとはタミル語だそうであるが)に漢字が入り込み、さらに近代になってヨーロッパの言語が入り込んできた。
朝鮮半島もインドシナ半島も日本列島も、それぞれのオリジナルな言語に漢字をまぜて書く言語を作りだした。
けれども、韓国は漢字を棄ててハングル表記に一元化しつつある。ベトナムも漢字やベトナム文字を棄てて、アルファベット表記にシフトした。東南アジアの他の国々も漢字とオリジナルな文字を棄てて、アルファベット表記へ移行するのが大勢である。
非識字者の存在がプロットの鍵になるような物語(ルース・レンデルの『ロウフィールド館の惨劇』やロバート・B・パーカーの『プレイメイツ』など)に類するものを私は日本の小説のうちに知らない。
「速読できない」というのは単語を拾って文章を読み上げることはできるのだが、読み終えたあとに「今読んだところに何が書いてあったのか」と質問されても答えられないということである。
一方、日本の初等教育については、その欠点をなじる人はいくらもいるが、にもかかわらず日本人には非識字者がほとんどいない「功績」については、言及する人が少ない。
漢字は表意文字であるので、図像として認識される。ひらがなカタカナは表音文字であるので、音声として認識される。
だから、アルファベット言語圏では、脳の器質障害の結果の失読症では患者は端的に文字が読めなくなるが、日本人の失読症患者の場合、障害を生じた箇所によって、「漢字は読めないが、かなは読める」「かなは読めないが、漢字は読める」という二つの病態に分岐するのである。
文字を読むときに単一の部位を使うのと、二つの部位を使って並列処理するのでは、作業能率が違う(たぶん)。
ある種の少女マンガでは「ふきだし」の中の漢字にルビが振られていないことがある(岡崎京子とか岡野玲子とか)。
画像記号の処理を、「絵」についてと、「ふきだし」の中の「漢字」について、レベルを替えて二度行わないといけないからである。
このわずかな作業量の増加ゆえに、読者は一コマを通常のマンガの場合よりも長時間熟視することを求められる。
余白や描線を味わったり、台詞の「裏の意味」を読むことができるのは、このようにして確保された「わずかなタイムラグ」のおかげなのである。
少女マンガを読むのに少年マンガを読むより「時間がかかる」ことが多く、またしばしば「パーソナルな読後感」(他の読者はおそらく読み落とした記号を私は読んだ・・・という感覚)をもたらすのは、そのせいである。
そういうわけで、日本以外の国においていわゆる「マンガ」が発祥し、発達するということはなかったのである。
興味深いのは、これら非日本人の「マンガ・リーダー」たちがほぼ全員「アニメ」から入ったということ(そしてしばしばアニメファンにとどまっていること)である。
アニメの場合には、音声は声優の声で伝達されるので、「表音文字を音声として認識する」という作業は必要がない。
それはまず漢字とひらかなからなる文字列に登場した「異物」として、「これは外来語ですよ(だから、あなたには意味よくわかんないかもしれないです)」という図像上のタグをつけられる。
だから、「新聞を読んでいて、カタカナが出てくると、そこだけ飛ばす」というリテラシー運用が可能になる。
一方、カタカナ・リテラシーのある人は、カタカナを見た瞬間に、これを「ひらがな」とは「別種の」表音記号として読むモードに切り替える。
そして、それを読むときに、「ひらがなを読むときには決してしない脳内活動」(音声表記から原綴を類推する)を行うのである。
さまざまな出自の語がまじりあっている文章を読みなれているせいで、日本人には他国の国語話者がおそらくほとんどなさらない種類の「造語」を行うことができる。
この旧制高校的造語はその後、「学生運動用語」として60年代まで作られ続けたが、この時期のものは「日本語プラス外来語」のものが多い。
50−60年代の造語が学生運動を主たる培養基としたのは、この運動そのものが「学生寮」を基盤にしていたことに関係があるのかもしれない。
旧制高校生は当時の日本社会におけるエリートであり、彼らがその知的卓越性の記号として「二種類の外来語を組み合わせて隠語を作る」能力を誇示しようとした、というのはありそうなことである。
そして、またそのような造語能力が実は日本人に固有のものであることを、それゆえ、このような隠語を作り出すことを通じて「日本語の例外的な可塑性」を示すことができることを、高校生たちも無意識のうちに感知していたのではないか。
というような話から、日本語クレオール説というトンデモ話に話頭は転じるのであるが、これはもうあまりに学問的に無根拠なダボラなので、ブログとはいえ採録することがかなわぬのである。
こう拝読すれば、無数の社会階層から常に「低脳・低俗」と見られ(実際そんなヤツもいる。おれか!)、扱われる貧乏なタクドラの生きる道(@パフィ♪)も、けっこういいかもと思えてきたりします。
今日の文章は気になっていたことを書かれていましたので、その気になっているところを書いてみます。昨日友人に漫画に付いて送ったところです。
日本から発信した漫画が世界各国で受け入れられGNPを押し上げるほどの影響力があると聞きます。隣国中国では数年前までは日本に経済と勉学のため留学したのが、現在では漫画やアニメに親近感をj感じるので留学しにくるそうです。米国の漫画文化発生あるところでは一部のもの好き程度のようですが。なぜ この国が抜きん出て漫画の大量発生にいたったかは、養老先生の言われる漢字がそもそも漫画の形式を持っていたということに 理由がありそうです、漢字にルビをつける行為が漫画の絵とせりふの吹き出しと同じ構図だということです。長年漢字の使用で漫画的図像が自然に現れたということです。 だが もうひとつ考えることができます。
日本の美術史を扱った辻惟雄の「奇想の系譜」という美術書は 題名に現れているように日本美術は奇想で成り立っているという。それは 中国の図像が自然を見た通りに描く方法をとるのに 同時代の日本の草花を描いたものは そばの小石も後ろの光景も描かない デフォルメされた花や草が美しいと思える奇想の図像の 差異となって現れています。どうして 日本人は見たとおりに美意識を感じなかったのだろうか。画布の中は別世界として 一度脳内を循環させて意識的に意識したものを描こうと考える癖があるようだ。
それは 見えるものが全てではなくて 一元化することに意識を集中しているように思われます。たとえば 雲の形や波の形を図案化することには秀でたものを感じますが 雲や波の全体を表そうとは思っていないと思われます。商品はたぶん一元化することで価値が現れるのでしょうが そういう行為に思えてしまいます。「あんたのキャラと違うデー」と一元化された他とは違った個性が売れるのでしょう。日本美術はその差異で成り立ってきたように思われます。
漫画には全体としての人物像は必要ないとおもいます。それぞれの シーンにもっとも近い表情が表されれば良いのです。それが 日本人が描こうとする表層ではないでしょうか?琳派にも狩野派にもリアリティーに優れたものはあるのですが マヌエリスチックになって図案化することは 漫画化することになってしまいます。
また 西洋ではゴシック時代までは キリストはイコン画として漫画化されていましたがルネッサンスにはリアリティーある聖人に変化してきました。イコン画の成り立ちは詳しくないが 聖なるイエスの聖なる様を一元化したのではと思われます。
16世紀にカラッバジョが道行く人物をキリストに仕立て描いたのはイコンの漫画に飽き足らなくなったのではと思えます。カラバッジョは明暗を自然光でなく 画面の効果を狙って暗いバックを発明しそれがあの時代のスペインからオランダまで瞬時といっていい時間で広がったが、人物には緊張を持たせ 何かに集中している様を信じられないほどリアルに描いています。その迫真が何時の時代にも迫ってくるのです。それは まぎれもなく一元化からは得られない効果です、
仏様に仏様としてのイメージに恐れ入っても リアリティーとしての恐れも威厳も慈悲も感じることが出来ないのは 正真な仏教徒でないからでしょうか?
そのなか 天平時代の仏師が鑑真和上や奈良の東大寺隣にある四天王を 漫画化から影響されずに製作したものがあります。鑑真は後になって芭蕉が見たとき 「若葉もて 御眼のしずくぬぐわばや」と歌ったのです。唐から何回も渡航に失敗してついに失明してまで日本に仏教の戒律を教えようと発願した鑑真像は悲しみに打ちひしがれているわけではありません。それでも 芭蕉はその涙若葉で拭いたいと見たのです。鑑真像はなんとも形容しようがないのです。芭蕉のように 涙とも慈悲とも言葉ではいえません。ただ 鑑真が存在するだけなのです。 世界中のどの彫刻にも負けない強い存在感が僕たちを打ちひしぐのです。唖然とさせるのです。 芸術の最高の状態ではないでしょうか。脳が意識化して言葉に還元できない説得力は言葉の芸術以外に携わっているものの芸術に賭ける思いです。
音楽にもリズムもメロディーも超越して魂とか作曲家や演奏者の思いだけが漂って聞こえてくるときがありますが、そのとき 眼前にとうに死んでしまった作者が現れているのです。
それから年月が経って鎌倉時代、運慶が現れます。その間鑑真がありながらどうしてその流れが消えてしまったのでしょう。運慶までまたなければならないのです。 漫画的な仏像だけが大量にだから 民衆的に作られ続けるのです。
1212年鎌倉時代イタリアに先駆けて日本にカラバッジョが現れたのです。この2像の存在はあの聖カラバッジョと並べてみても劣ることはありません。強いて言えば無著には慈悲のまなざしを感じ、世親には宇宙の恐ろしさに観念しようとする気配を感じますが そのリアリティーには一元化の兆しはありません。
その後も彼らの意思を次ぐものはあらわれません。時々リアリティーのある肖像もありますが、鑑真や運慶の作品とはならべようもありません、今でも仏師として職業が成り立ち仏様を彫り続けていますが 先月外国に行かないよいうに日本人が落札した運慶の坐像は仏像の様式ですが凛として奥深く魅力的な仏像でした(だから 仏像という様式の中でもぐっと来る物は、他にもたくさんあります)
漫画には画像だけでなく物語りという大切な要素もあるのですが 我々は 画像に一元化を求める癖があり そのため 商品化が得意だとか 他人に抱く思い込みが単純だったり
脳化が障害なくすすんだり 有り余る自然に雑草という概念を植えつけて自然を制御することに罪を感じなかったり、思いのほか一元化には功罪併せ持って影響が強いように思われます。
室町時代平織りの織物に綾織りという技法が現れ 織り目の形態の違いに綺麗という字を発明しました。派手でうつくしいこと、嫌悪感を誘う濁りや汚れをとどめないさま、と広辞苑にでています。それまでは うつくしい 美しい 愛しいと肉親への愛から ちいさなものへの愛 可愛らしい 慈愛(うつくしび)と使っていたものが 可愛らしくない美しいものを綺麗と言ったととれます。それから 大声で 「綺麗にしなさい!」と変化するのです。其の語彙には悪意が含まれているように感じます。
古語辞典によると「うつくしい」はいつくしみという言葉からうつくしいに変化したようですが もともとは 肉親への愛 わが子への愛がうつくしいの本来的意味合いだと思われます。わが子を育てるとはきれいごとですむわけが在りません。
綺麗とうつくしいはそういう違いがあって使いわけられていますが 実は 綺麗しか使われていないのではと思い至るようになりました。
なぜなら 綺麗は一日に数回使われますが うつくしいは一年に数回使うでしょうか?読書癖でもないかぎりうつくしいとは言わなくなっているのです。
思うに 漫画化一元化から うつくしいは遠いのです。うつくしいと感激したとき時として汚れや濁りも包摂する場合があるからです。現に子育ては大便も小便も子供が出てくる上下に通じていて だから 子を降ろすとき大中小の間の中絶というのですかね?とは冗談ですが。そういうものも含めてうつくしと言ったのです。
しかし 現在 匂いも汗もほこりも汚れも 人間の特質の一部を嫌悪する時代となってしまいました。それで 愛だとか 尊重だとか敬愛だとかの感情が変化なく続くわけがないと思われます。他人に自分の望むところのみ求めるのは ひとを全体として見る癖がないことを意味します。一元化のもっとも危惧するところは 人格形成にも関わる ひととはどういうものか を問うことのないところにあると思われます。ひとを漫画として愛するということです。複雑怪奇な人の性格に仮面をかぶる状態です。(
綺麗な建築が最高の状態で今に至って 綺麗なものとは大いなる規制を受けて成り立ち その故 その空間は住まい手にきれいにしろ!と規制をかけているのです。
ビニールクロスと塩化ビニールの印刷した扉とその木目の枠、床は塩化ビニールか 木とも思えないフローリングでプラスチックの冷蔵庫。ライト。パソコン。机とくれば すべてが おめえ きちんとしろよ!と毒づいていることを感じないでしょうか?
時には 古い農家や明治時代の洋館に入って自分の気持ちがリラックスしていることに気がついてもらいたいものです。(当然のように昼寝がしたくなります)
自然とは我々に規制をかけない環境です。それは 全体だからでないでしょうか。上記の家の素材は商品化された一元的意味しかもっていないのです。たとえば 室内に左官材や木や紙や畳で構成されていれば それぞれは 自然材を手入れして作ったものと 自然材を創造もできないほど加工したものでは 人の感受する質感の差異は歴然です。我々は機能に感謝してもすぐになれてしまい 質感によってのみ感動すると知るべきです。
山登りをして早朝雲の切れ目から光が漏れ始め黄金色の太陽が覗くと 人は手を合わせて涙するといいます。自然との邂逅にもっともエクスタシーを感じるとイギリスの科学者の研究結果があります、ちなみに2番目は愛だそうです、エクスタシーを導くトリッガーの研究ですが 次は法悦 運動 回想 知るとき 創造 とありますが 当然美しいものを見たときも上位に入っています。だが かなしいかな 早朝太陽を拝んだ人々はうつくしいとは発せず きれいねーと言うそうです。
うつくしいと言うとき対象と自分が一体感があるとおもいますが 綺麗というとき一種突き放し一体になることを避けているように思います。たぶん 涙する人は何事も発っすることが出来ず手を合わせるだけなのでしょうが。自然との邂逅に綺麗と使わざる得ないことに何故か危機感を感じてしまいます。
ドイツの思想家フランクリンは充足した状態は心臓の周りの環状動脈が勢いがよいときと書きます。それは 自然の赤や紫の花々や 白い雲や 小川のせせらぎなどを感じたときの状態だといいます。明日遠足だからうきうきしていても 動脈に変化なく充足の状態でないと、フランクリンはナチの収容所の中でそれらを見て感じる人に生き残る可能性が高かったといいます・。充足感は満ち足りた状態のことです。
我々は言葉の発達によりサバン症的特質した記憶力だとかをなくしたといいますが、石器時代という長期の経験記憶が未だ優勢で大脳皮質のいうことなんか聞くものかという側面があるように思われます。一元化を編み出した日本人が良くって一元化にしたのだろうからそのまま一元化に賛成していれば いいのにとも考えられますが(きっと先鋭の科学者は大脳皮質サイボーグを作りたいでしょう)
しかし 仏教ではひとは大脳皮質に頼らず大脳辺縁系にまかせると考えているようです。仏教が石器気質なゆえんです。何も無い 「空」は般若信教にたびたび出てきますが なぜか 狩猟採集の時代のことではないかと思えてしまうのです。
「わたしの幸福は野蛮に由来し 私の不幸は文明に由来する」ということは 山登りしたり、水泳したり 格闘技したり 紅葉をめでたり 温泉にはいったり 木の家にこだわったり 釣りをしたり 狩猟をしたり これらはみな 石器時代の経験記憶に違いないと思います。野蛮を味合うことは 自然への愛着なのだと思いますが、一種居心地のいいものと感じても 人が綺麗に作ったものでないと受け入れられなくなっているのは コンピューターが大脳皮質の代わりに活躍している現代が経験記憶を無意識の奥の奥にしまったとしても そのほうがかえって 現代人の行動にトラウマとして影響するだろうと思います。(田舎など嫌いなお母さんは子供に花や岬や自然の名前を付けたがる道理です)
東京芸術大学の保険の先生であった三木茂夫先生は 東大での講義で何十億年もの生命の発生の時間を胎内にいる時間に味わうと語り その宇宙的な語り口に聴衆は涙する人もいたと伝えられていますが、かの先生 人の心は息にあると言います。
息苦しい 息切れ 息詰まる 息抜き 自分の心と書いて息と読むのです。緊張したとき人は息をしていない。それを息詰まりといいます。そのとき深呼吸するとこころが晴れる 息が抜けたのです。息が合うとはこころが通じるともいえます。
われわれ 日本人はこころはどこにあるのかと問うと 脳の中にあると言うか胸を指してここにあるいいますが、息遣いがこころの状態だったのです。そのこころが息つくことなく詰まり続けているのが今の現状ではないでしょうか。
団塊の世代は少年時代漫画によって日々楽しみました。その時代から漫画は恥ずかしがらなくてはならないものは小数です。漫画の物語に説得力も、斬新さも、時代の鏡としての芸術性も他の表現に劣ることはないと思われます。映画とは親近感のある表現方法ですが、別ものと考えるべきでしょう。
だが、漫画特有になる一元化の作用は、仕様がないねー、や、怒るほどのことはないだろー、とか、寛容な精神を阻害するのではないか、と危惧するのです、その切れやすい歯止めのない現代の時代の息苦しさを表現方法として助長しているのではないか、その、刃物のような漫画が世界に流れていいのだろうかとも 思っています。
テレビは個人消費時代を創作しました、今 テレビは視聴者を子供に変化させようともくろんでいるように見受けられます。道端に背中を付けて両手、両足をばたばたさせて 買ってクレー!!と叫ぶ子供を作るために、キャラクター(キャラクター人形は赤ん坊を引き付けるために作ったもので漫画の一様です)や、子供に話しかけることば使いや、音や。男おんなや女おとこの一様なボキャブラリーやで、大宅壮一が一億総白痴化と言った子供化が終了しようとしているのです。
と、いろいろ考えているのですが、どこかで論理がねじれているやもしれず、意味不明かもしれないのですが、
今日の文章は気になっていたことを書かれていましたので、その気になっているところを書いてみます。昨日友人に漫画に付いて送ったところです。
日本から発信した漫画が世界各国で受け入れられGNPを押し上げるほどの影響力があると聞きます。隣国中国では数年前までは日本に経済と勉学のため留学したのが、現在では漫画やアニメに親近感をj感じるので留学しにくるそうです。米国の漫画文化発生あるところでは一部のもの好き程度のようですが。なぜ この国が抜きん出て漫画の大量発生にいたったかは、養老先生の言われる漢字がそもそも漫画の形式を持っていたということに 理由がありそうです、漢字にルビをつける行為が漫画の絵とせりふの吹き出しと同じ構図だということです。長年漢字の使用で漫画的図像が自然に現れたということです。 だが もうひとつ考えることができます。
日本の美術史を扱った辻惟雄の「奇想の系譜」という美術書は 題名に現れているように日本美術は奇想で成り立っているという。それは 中国の図像が自然を見た通りに描く方法をとるのに 同時代の日本の草花を描いたものは そばの小石も後ろの光景も描かない デフォルメされた花や草が美しいと思える奇想の図像の 差異となって現れています。どうして 日本人は見たとおりに美意識を感じなかったのだろうか。画布の中は別世界として 一度脳内を循環させて意識的に意識したものを描こうと考える癖があるようだ。
それは 見えるものが全てではなくて 一元化することに意識を集中しているように思われます。たとえば 雲の形や波の形を図案化することには秀でたものを感じますが 雲や波の全体を表そうとは思っていないと思われます。商品はたぶん一元化することで価値が現れるのでしょうが そういう行為に思えてしまいます。「あんたのキャラと違うデー」と一元化された他とは違った個性が売れるのでしょう。日本美術はその差異で成り立ってきたように思われます。
漫画には全体としての人物像は必要ないとおもいます。それぞれの シーンにもっとも近い表情が表されれば良いのです。それが 日本人が描こうとする表層ではないでしょうか?琳派にも狩野派にもリアリティーに優れたものはあるのですが マヌエリスチックになって図案化することは 漫画化することになってしまいます。
また 西洋ではゴシック時代までは キリストはイコン画として漫画化されていましたがルネッサンスにはリアリティーある聖人に変化してきました。イコン画の成り立ちは詳しくないが 聖なるイエスの聖なる様を一元化したのではと思われます。
16世紀にカラッバジョが道行く人物をキリストに仕立て描いたのはイコンの漫画に飽き足らなくなったのではと思えます。カラバッジョは明暗を自然光でなく 画面の効果を狙って暗いバックを発明しそれがあの時代のスペインからオランダまで瞬時といっていい時間で広がったが、人物には緊張を持たせ 何かに集中している様を信じられないほどリアルに描いています。その迫真が何時の時代にも迫ってくるのです。それは まぎれもなく一元化からは得られない効果です、
仏様に仏様としてのイメージに恐れ入っても リアリティーとしての恐れも威厳も慈悲も感じることが出来ないのは 正真な仏教徒でないからでしょうか?
そのなか 天平時代の仏師が鑑真和上や奈良の東大寺隣にある四天王を 漫画化から影響されずに製作したものがあります。鑑真は後になって芭蕉が見たとき 「若葉もて 御眼のしずくぬぐわばや」と歌ったのです。唐から何回も渡航に失敗してついに失明してまで日本に仏教の戒律を教えようと発願した鑑真像は悲しみに打ちひしがれているわけではありません。それでも 芭蕉はその涙若葉で拭いたいと見たのです。鑑真像はなんとも形容しようがないのです。芭蕉のように 涙とも慈悲とも言葉ではいえません。ただ 鑑真が存在するだけなのです。 世界中のどの彫刻にも負けない強い存在感が僕たちを打ちひしぐのです。唖然とさせるのです。 芸術の最高の状態ではないでしょうか。脳が意識化して言葉に還元できない説得力は言葉の芸術以外に携わっているものの芸術に賭ける思いです。
音楽にもリズムもメロディーも超越して魂とか作曲家や演奏者の思いだけが漂って聞こえてくるときがありますが、そのとき 眼前にとうに死んでしまった作者が現れているのです。
それから年月が経って鎌倉時代、運慶が現れます。その間鑑真がありながらどうしてその流れが消えてしまったのでしょう。運慶までまたなければならないのです。 漫画的な仏像だけが大量にだから 民衆的に作られ続けるのです。
1212年鎌倉時代イタリアに先駆けて日本にカラバッジョが現れたのです。この2像の存在はあの聖カラバッジョと並べてみても劣ることはありません。強いて言えば無著には慈悲のまなざしを感じ、世親には宇宙の恐ろしさに観念しようとする気配を感じますが そのリアリティーには一元化の兆しはありません。
その後も彼らの意思を次ぐものはあらわれません。時々リアリティーのある肖像もありますが、鑑真や運慶の作品とはならべようもありません、今でも仏師として職業が成り立ち仏様を彫り続けていますが 先月外国に行かないよいうに日本人が落札した運慶の坐像は仏像の様式ですが凛として奥深く魅力的な仏像でした(だから 仏像という様式の中でもぐっと来る物は、他にもたくさんあります)
漫画には画像だけでなく物語りという大切な要素もあるのですが 我々は 画像に一元化を求める癖があり そのため 商品化が得意だとか 他人に抱く思い込みが単純だったり
脳化が障害なくすすんだり 有り余る自然に雑草という概念を植えつけて自然を制御することに罪を感じなかったり、思いのほか一元化には功罪併せ持って影響が強いように思われます。
室町時代平織りの織物に綾織りという技法が現れ 織り目の形態の違いに綺麗という字を発明しました。派手でうつくしいこと、嫌悪感を誘う濁りや汚れをとどめないさま、と広辞苑にでています。それまでは うつくしい 美しい 愛しいと肉親への愛から ちいさなものへの愛 可愛らしい 慈愛(うつくしび)と使っていたものが 可愛らしくない美しいものを綺麗と言ったととれます。それから 大声で 「綺麗にしなさい!」と変化するのです。其の語彙には悪意が含まれているように感じます。
古語辞典によると「うつくしい」はいつくしみという言葉からうつくしいに変化したようですが もともとは 肉親への愛 わが子への愛がうつくしいの本来的意味合いだと思われます。わが子を育てるとはきれいごとですむわけが在りません。
綺麗とうつくしいはそういう違いがあって使いわけられていますが 実は 綺麗しか使われていないのではと思い至るようになりました。
なぜなら 綺麗は一日に数回使われますが うつくしいは一年に数回使うでしょうか?読書癖でもないかぎりうつくしいとは言わなくなっているのです。
思うに 漫画化一元化から うつくしいは遠いのです。うつくしいと感激したとき時として汚れや濁りも包摂する場合があるからです。現に子育ては大便も小便も子供が出てくる上下に通じていて だから 子を降ろすとき大中小の間の中絶というのですかね?とは冗談ですが。そういうものも含めてうつくしと言ったのです。
しかし 現在 匂いも汗もほこりも汚れも 人間の特質の一部を嫌悪する時代となってしまいました。それで 愛だとか 尊重だとか敬愛だとかの感情が変化なく続くわけがないと思われます。他人に自分の望むところのみ求めるのは ひとを全体として見る癖がないことを意味します。一元化のもっとも危惧するところは 人格形成にも関わる ひととはどういうものか を問うことのないところにあると思われます。ひとを漫画として愛するということです。複雑怪奇な人の性格に仮面をかぶる状態です。(
綺麗な建築が最高の状態で今に至って 綺麗なものとは大いなる規制を受けて成り立ち その故 その空間は住まい手にきれいにしろ!と規制をかけているのです。
ビニールクロスと塩化ビニールの印刷した扉とその木目の枠、床は塩化ビニールか 木とも思えないフローリングでプラスチックの冷蔵庫。ライト。パソコン。机とくれば すべてが おめえ きちんとしろよ!と毒づいていることを感じないでしょうか?
時には 古い農家や明治時代の洋館に入って自分の気持ちがリラックスしていることに気がついてもらいたいものです。(当然のように昼寝がしたくなります)
自然とは我々に規制をかけない環境です。それは 全体だからでないでしょうか。上記の家の素材は商品化された一元的意味しかもっていないのです。たとえば 室内に左官材や木や紙や畳で構成されていれば それぞれは 自然材を手入れして作ったものと 自然材を創造もできないほど加工したものでは 人の感受する質感の差異は歴然です。我々は機能に感謝してもすぐになれてしまい 質感によってのみ感動すると知るべきです。
山登りをして早朝雲の切れ目から光が漏れ始め黄金色の太陽が覗くと 人は手を合わせて涙するといいます。自然との邂逅にもっともエクスタシーを感じるとイギリスの科学者の研究結果があります、ちなみに2番目は愛だそうです、エクスタシーを導くトリッガーの研究ですが 次は法悦 運動 回想 知るとき 創造 とありますが 当然美しいものを見たときも上位に入っています。だが かなしいかな 早朝太陽を拝んだ人々はうつくしいとは発せず きれいねーと言うそうです。
うつくしいと言うとき対象と自分が一体感があるとおもいますが 綺麗というとき一種突き放し一体になることを避けているように思います。たぶん 涙する人は何事も発っすることが出来ず手を合わせるだけなのでしょうが。自然との邂逅に綺麗と使わざる得ないことに何故か危機感を感じてしまいます。
ドイツの思想家フランクリンは充足した状態は心臓の周りの環状動脈が勢いがよいときと書きます。それは 自然の赤や紫の花々や 白い雲や 小川のせせらぎなどを感じたときの状態だといいます。明日遠足だからうきうきしていても 動脈に変化なく充足の状態でないと、フランクリンはナチの収容所の中でそれらを見て感じる人に生き残る可能性が高かったといいます・。充足感は満ち足りた状態のことです。
我々は言葉の発達によりサバン症的特質した記憶力だとかをなくしたといいますが、石器時代という長期の経験記憶が未だ優勢で大脳皮質のいうことなんか聞くものかという側面があるように思われます。一元化を編み出した日本人が良くって一元化にしたのだろうからそのまま一元化に賛成していれば いいのにとも考えられますが(きっと先鋭の科学者は大脳皮質サイボーグを作りたいでしょう)
しかし 仏教ではひとは大脳皮質に頼らず大脳辺縁系にまかせると考えているようです。仏教が石器気質なゆえんです。何も無い 「空」は般若信教にたびたび出てきますが なぜか 狩猟採集の時代のことではないかと思えてしまうのです。
「わたしの幸福は野蛮に由来し 私の不幸は文明に由来する」ということは 山登りしたり、水泳したり 格闘技したり 紅葉をめでたり 温泉にはいったり 木の家にこだわったり 釣りをしたり 狩猟をしたり これらはみな 石器時代の経験記憶に違いないと思います。野蛮を味合うことは 自然への愛着なのだと思いますが、一種居心地のいいものと感じても 人が綺麗に作ったものでないと受け入れられなくなっているのは コンピューターが大脳皮質の代わりに活躍している現代が経験記憶を無意識の奥の奥にしまったとしても そのほうがかえって 現代人の行動にトラウマとして影響するだろうと思います。(田舎など嫌いなお母さんは子供に花や岬や自然の名前を付けたがる道理です)
東京芸術大学の保険の先生であった三木茂夫先生は 東大での講義で何十億年もの生命の発生の時間を胎内にいる時間に味わうと語り その宇宙的な語り口に聴衆は涙する人もいたと伝えられていますが、かの先生 人の心は息にあると言います。
息苦しい 息切れ 息詰まる 息抜き 自分の心と書いて息と読むのです。緊張したとき人は息をしていない。それを息詰まりといいます。そのとき深呼吸するとこころが晴れる 息が抜けたのです。息が合うとはこころが通じるともいえます。
われわれ 日本人はこころはどこにあるのかと問うと 脳の中にあると言うか胸を指してここにあるいいますが、息遣いがこころの状態だったのです。そのこころが息つくことなく詰まり続けているのが今の現状ではないでしょうか。
団塊の世代は少年時代漫画によって日々楽しみました。その時代から漫画は恥ずかしがらなくてはならないものは小数です。漫画の物語に説得力も、斬新さも、時代の鏡としての芸術性も他の表現に劣ることはないと思われます。映画とは親近感のある表現方法ですが、別ものと考えるべきでしょう。
だが、漫画特有になる一元化の作用は、仕様がないねー、や、怒るほどのことはないだろー、とか、寛容な精神を阻害するのではないか、と危惧するのです、その切れやすい歯止めのない現代の時代の息苦しさを表現方法として助長しているのではないか、その、刃物のような漫画が世界に流れていいのだろうかとも 思っています。
テレビは個人消費時代を創作しました、今 テレビは視聴者を子供に変化させようともくろんでいるように見受けられます。道端に背中を付けて両手、両足をばたばたさせて 買ってクレー!!と叫ぶ子供を作るために、キャラクター(キャラクター人形は赤ん坊を引き付けるために作ったもので漫画の一様です)や、子供に話しかけることば使いや、音や。男おんなや女おとこの一様なボキャブラリーやで、大宅壮一が一億総白痴化と言った子供化が終了しようとしているのです。
と、いろいろ考えているのですが、どこかで論理がねじれているやもしれず、意味不明かもしれないのですが、
今日の日記に出てきた、養老先生からお聞きになったという、文字と画像を処理する脳の部位が違うというお話に興味を持ちました。勉強不足で恐縮ですが、どなたのなんという論文か出典をご教示いただけませんでしょうか。
僕は社会科学、人文科学なんて言った者勝ちだと思っていますから、状況証拠から公約数的になんらかの解を導き出すことはいくらでもやればいいと思いますが、それが真理や普遍性の光を放っているかのように語られると途端に背筋を寒いものが走ります。力強く語られると特に。
旧制高校スラングのような「外来語プラス外来語」の造語は60年代以降のネオロジスムの中に見出だすことは困難である(見つけた人はご教示ください)。
もっともこれらの語の造語成分であるドイツ語由来の外来語は、すでにかなり一般的に通用しているので、学生のあいだでしか通じない外国語の語彙を用いた隠語の場合とは、成立事情が異なるとは言えるでしょうね。
フランスにおける識字率の問題については、昔仏文科にいる友人から聞いたことがあります。(当時は「文盲」という今では使うのがはばかられる言葉を使って話していたので記憶に残っています。)
ところでパーカーの「プレイメイツ」、懐かしいですね。ストーリーは全然おぼえてませんが・・・。スペンサーのシリーズでは「初秋」がいちばん印象に残っています。あと「失投」なども。「キャツキルの鷲」以降は結構読んではいてもほとんどストーリーを忘れてしまいました。あのシリーズはまだ続いているのでしょうか?スペンサーももう「喜寿」くらいじゃないのかな?たしか朝鮮戦争に従軍した、という設定だったような。
養老なにがしとかいうバカともども、内に秘めた「優生思想」の片々がまたしても鎧の裾から出てきましたね。
日本人の脳の構造や機能が、外人とのそれと違いがあるわけねーだろ。ヒトラーじゃあるまいし。寝ぼけたことをいってるんじゃねえすよ。
そういう阿呆な発言が、ここを読む一部の内田ファンの阿呆たちに誤解された場合、いかほどの差別と愚昧を生み出すか。
「辺境」なんていっている時点でもうアウトだ。物事を深く掘り下げる姿勢が端からないことを白状しているようなものです。
たとえば「仏教」はインドで起こって、中国やチベットという迂回路を通り、最終的に日本という辺境で集大成され、極度に完成された。
親鸞という人物によってそれは究極的に研ぎ澄まされ、挙句、解体というぎりぎりのところまで突き詰められた。
アノルド研究では新進の哲学者で、詩人のxさんからは群像の編集部に「もう書かないぞ」と脅しいれても掲載させるけどどうだ? といわれたが断った。
おれには一切合切、最初から名誉欲も、人から尊敬されたいとか、有名になりたいなどという人並みの欲望があったとしても、努力の力が最初から欠けているんだ。
覚えるべき文字の数と種類が(少ないことではなく)多いことが識字率の高さと関係するかもしれないというのは面白い仮説ですね。僕のようなシロウトの印象でも、脳というのは省エネすればするほど元気がなくなっていき、逆に使えば使うほど新しいエネルギーを生み出す傾向(もちろん定期的な休息は必要ですが)を持っているように思います。また、一般的に、ひとつの感覚に訴える情報が継続するよりも、複数の感覚が刺激された方が、脳の覚醒度は高まりやすいと思う。(蛇足ですが、これは使われる脳の「部位の数」が、音声的な情報だけの場合と、そこに視覚的な情報が混在した場合とでは異なってくるという話で、もともと脳の構造が違うというような「優生思想」とは関係ありません。例えば英語人の脳の中でも顔文字が混在する文章を読んでいるときには同じことが起きると思います。)
あと、僕は「日本語クレオール説」というものの存在を今回の記事で初めて知ったのですが、ちょっと興奮して検索してみると、一部の学者によって主張されつつも根拠が弱く、内田さんの言うように「トンデモ」の部類として見られがちということのようですね。でも、面白いなー。僕は日本語の「主語の無さ」に興味があるのですが、ひょっとしてピジン言語やクレオール言語の発生過程においては、そもそも言葉が通じない同士がなんとかコミュニケーションを成立させようと努力するわけだから、嘘でも何でも「自分たちはいま同じものを見て同じことを感じ同じことを考えている」という設定をすごく大事にするんじゃないかなんて勝手な空想を楽しんでいます。「楽しい?」「うん、楽しい!」「ねー! 楽しいよねー!」みたいな感じで。主語の欠如は同質性の高い人々の間で発生すると僕はこれまで思っていたけれど、まったく逆に異質な人々の間でこそ発生するのかもしれない。ただしその場合、両者が「辺境的心性」を共有している必要がありそうですね。自分が中央だと思っている人は相手に自分の言語を押しつけるだけだろうから。
大昔から今日まで、ほんらい主語のない言語のほうがふつうであって、むしろ、もともと主語がなかったのに、ある事情から主語が表に出てきてしまった英語こそが世界でも、もっとも珍奇な言語なんですよ。
(ここで『主語がない』という意味は、『主語があっても良いが、なくても良い』という意味です。その点英語は『必ず主語がなければならない』という点で、世界で唯一珍奇な言語なんです。
中世のラテン語や古代ギリシャ語になると、名詞や動詞の格変化によって、行為の主体が特定でき、主語は省かれることが多い。
それから、日本の漫画の特徴は、日本語の豊富な擬態語・擬声語によって効果音などを表せることですよね。これが中国語(他の言語でも)だと翻訳不可能なものが多く、漢字で表されているものは日本人には異様に思えます。
ご紹介いただいた本は僕も読んでいて、そして、自分自身の想像の中でも、たぶんすべての言語はその起源において主語というものを持ってはいなかっただろうと考えています。それこそ「(獲物が)いた!」「いた!いた!」みたいに。その意味で、主語のない日本語が珍奇な言語であるとは、僕はまったく考えていません。
僕が興味を持つのは、一部の言語は後に主語というものを発明し、それをどんどん確立していって、そして、そのような言語の使い手が僕たちの暮らす現在の世界の政治的・経済的・文化的ヘゲモニーを握っているということであり、同時に、僕自身の属する日本語の世界が、現在に至ってもなお、主語というものを本質的には確立していないという事実です。
ちなみに僕自身は、主語の無いコミュニケーションの母性的な優しさの良さも痛感しつつ、金谷さんとは違って、日本語は意識的に主語を獲得するべきなんじゃないかと考えていますが、でも例えばこうやって書き込みをするときにすべての文に主語をつけるということは、やはりかなり難しいです。
英語が主語というものの有効性を発見していったのと反対に、日本語は、その歴史の中で、主語の欠如の有効性をますます強化されていったのではないかと僕は想像していて、それが「辺境におけるクレオール的状況」だったのかもしれないなあなどと想像しつつ、今回のエントリーを楽しんだわけです。僕は。
最近の米映画はすべて銃をもった男か女が、悪を探してうろつきまわり、最終的に爆発物を大量に爆発させて仮想悪を殲滅するという狂的な被害妄想的映像の大量生産となっている。
ちょっと気になったので一言コメントさせていただきます。養老先生が念頭に置かれていらっしゃるのは恐らく語義失語gogi aphasiaまたは意味性痴呆semantic dementiaの事ではないでしょうか。側頭葉の障害によって起こるのですが、語の意味、すなわち語義が選択的に障害される病態です。この語義失語症の患者さんはかなの読みはさほど障害されていないにも関わらず、漢字の読みが選択的に強く傷害されてしまいます。失語症学会において色々と研究をされています。かなと漢字、処理する脳の部位が異なるのは間違いないようです。私は専門家ではありませんが、米国の脳機能研究者と話をした時には、日本語は独特な言語体系であり、脳の機能の面から見ると日本人は変な事をしている、と言われたことがあります。

 

[ 421] ベア速 無駄知識を語っていけ
[引用サイト]  http://vipvipblogblog.blog119.fc2.com/blog-entry-201.html

クマバチは航空力学の面から見ると飛べない。
日本のリニアは時速200kmまでタイヤで加速する
昔の電話は電源いらず
コンクリートは水分を含むと強度が増す 50倍
熱した鉛に指をつっこんでも一瞬なら大丈夫
陰毛は恥骨骨折を防ぐ為にある
鳩は首を動かしているのではない
車輪のついた物体を動かす力は動かす物の重量の1/10
大気圏突入時には摩擦で熱くなるのではない
人工衛星は使い捨て
ジュラ期の重力は現在の1/3と推測
富士山頂の時計と東京の時計は重力ポテンシャルが違うので若干ズレる
「着色料ゼロ」は別に嘘じゃない。
正確には「合成着色料ゼロ」って言ってるから。
自然由来の物で食品への添加が認められてる物は
着色料も保存料も色々使ってるよ。
そうでなけりゃ見た目も悪いしすぐ腐って売り物にならん。
銃声は弾丸が音速を超える際に発生する衝撃波の音
電子が物体を移動する速度は0.1cm/s
ブリジストンの名前の由来は石橋さん
平常時に片方垂れている方の金玉が主、もう1個は予備
タンカーの船底の大半はバラスト区画
ハエの映像処理能力はハイスピードカメラ並
鳥は人間の数倍の色を識別できる
昆虫が飛べる理由はあまりわかってない。
昆虫は何もない場所から突如として出現した事になっている
折り紙の金色は銀色にオレンジの溶液をコーティングして作る

都市伝説とか、確証が無いことも含まれていたり、
逆に、確証が無いだけの事を完全否定して書いてたりするな。
米18
もう原木切っちゃったらしいね。
「そんなんだからいつまでたっても田舎なんだ」って松戸出身の母ちゃんが言ってたわ。
わざとなのかわからんが
誤解を招くような書き方をするのはどうかと思う。

東京の地下にはリニアモーターカーが走っている。
摩周湖は法的には湖でなくただの水たまり
トランプには昔税金がかかっていた スペードのAの模様が派手なのはそのなごり
ウグイス色は実はメジロの色
サハラ砂漠の「サハラ」は訳すと「砂漠」という意味
ゴビ砂漠の「ゴビ」も砂漠という意味
カフェオレの中でもエスプレッソコーヒーとミルクを混ぜたものが「カフェラテ」
オリンピックで人気のある陸上競技が最後なのは、客を閉会式まで引き止めるため
長崎の平和記念像のモデルは力道山
「ニイタカヤマノボレ」の新高山は当時日本国領内一の高さだった台湾の玉山のこと
世界中でパラグアイの国旗のみ裏表の絵柄が違う
ミッキーマウスに最初に声をあてたのはウォルト・ディズニー本人
生身で宇宙に放り出された際の死因は窒息ではなく
圧力低下により血液が沸騰、蒸発する事による
ミイラみたいになるらしい
この前カウボーイビバップ観てたらスパイクが息止めて宇宙に飛び出たが、あれはあり得ないみたい。。

人体の骨は206個だが、俺は207個ある

言ってしまえば奇形
取敢えず
>>30は違う。鮮度関係ない
含まれるクロロフィルが日光に当たることで毒成分になる
だから毛が薄く、毛細血管が多い耳で毒成分が作られて耳が壊死したりする
*33
皆既日食に星の大きさは関係ないぞ。
観察場所が衛星の影に完全に含まれるか否かだから。

地球型惑星で(皆既)日食が観察できないのは
衛星が存在しない場合のみ。
あ、衛星が小さすぎると影が出来ないから日食無いか?
(人工衛星で日食は起きないし)

あと、太陽と月の視直径が同じなのは単なる偶然。
月は誕生以降ずっと地球から遠ざかり続けているので、
かつて月は今よりもっと大く見えたし
遠い将来月は今よりもっと小さく見える。
三毛猫のオスは、生まれてきても遺伝的に欠陥あるから繁殖能力はないらしい。

でも、前繁殖能力を持つ三毛猫のオスが紹介されてたな。
市場価値は3000万だとかなんだとか。
三毛猫の原理から、そもそもメスしか生まれない
オスの三毛猫は染色体異常の猫

毛の色を決定する染色体は性別を決定する染色体と同じ所にある
XX染色体とかXY染色体とか言われてるやつ
そのX染色体に毛色の情報が含まれている

オスはXYだけだから1種類、メスはXXだから2種類の色を持てる
よってメスは三毛になるがオスは三毛にならない

ところが極稀に染色体異常でXXYの猫が生まれることがある
いわゆるクラインフェルター症候群
この場合、Y染色体を保持している為に体はオスとして作られ、
そしてX染色体が2本あるから、三毛になる事がある

クラインフェルター症候群は人間にも中々の確率(1/500程度)で
発生する染色体異常であり、不妊や学習障害を起こす事が多い
猫であっても例外ではなく、生殖能力が欠如している場合はほとんど
とりあえず鵜呑みにしやすいアホウな俺にはどこからどこまでが嘘か分からんだぜ…

>>198〜208
のウォーリーはガチで犯罪者なのか?
だとしたら偽ウォーリーとか同じく赤と白の縞模様の服を着ているウォーリーファミリーだとか言う人物とか白ヒゲは何なんだ…?

飛行機が飛ぶ原理は分からないってやつは前にも雑学スレで見たんだけど
その時はそれは嘘ってことになってた気が・・・。本当はどうなの?
なんか嘘が多いな
特に516のファイブミニの着色料の話は嘘
虫から取れるだけでそんな虫ばかり使ってたらコスト高くなるから使えない
ファイブミニやかまぼこがえらい高騰することなる
健康増進法の基準では、食品100mlあたり5カロリー未満であれば、「カロリーゼロ、ノンカロリー」
と表示して良い事になっているので、これらが表記されてる食品の中には正確にはカロリー0でない物もある。

同じ様に「ノンアルコール」も酒税法上、アルコール濃度1%未満は清涼飲料水扱いになるので、
「ノンアルコール」と表記してよい事になっている。
だからノンアルコールビールなどでも飲みすぎれば酔っ払う事もあるし、飲んで車などを運転すれば
飲酒運転に引っかかる可能性もある。
ラジコン飛行機は翼の形は上下で対称なんだって。それでも飛ぶ。
考えてみりゃ紙飛行機なんて翼はまっ平らだもんなぁ。
やっぱ翼の浮力だけでは説明できないんだろうか。
>クマバチは航空力学の面から見ると飛べない。
これって飛行機とかと同じように考えると飛べないって意味で、
クマバチは他の原理で飛んでるからOK

大航海時代に初めて南米から持ち出されたものをクレオパトラがどうやって飲むんだよw

日本人のほとんどの人の耳垢は乾燥型じゃボケ。お前は欧米人かw

どうも故意なのか天然なのかわからんね〜。
コチニールに発ガン性があったらカンパリオレンジとかとっくに世の中から消えてるよ。
月の400倍の太陽とか、バカな。(笑)
ガセビア多すぎワロタwww

商品に使われてる原材料は、含まれている料が多い順に書かれている。 その商品当たりか、全体なのかはわからん。

ライト兄弟より先に飛行機を作った人は日本人。

そして関係あるかどうかは知らんが、飛行神社と言う神社が京都府八幡にある。エンジンが置いてあった。
>>154ってマジ?
学校のクリスマス会とかそういうのは「明らかに宗教的利益を目的として行われていないもの」として扱われるから問題ないとか聞いたことあるんだけど
実は人類の進化ってのは分かってないのが多い
一般的には原人から新人になったと言われてるが事実無根らしい
うたわれるものでそれらしきものを見てwikiで調べただけだけどなww

世界で貧困にあえいでる人口と、車に乗ってる人の人口はほぼ同じ
地球から木星までは8億km 木星の磁気圏は7億km
かな〜
温暖化について。
温暖化して海の水位が上昇することはありえない。
これは化学で証明されている。知らない人間はただの無知。

ちなみに温暖化や、地球のことについての化学的には
ひとつも立証されていない。要は摩訶不思議。

それぐらい地球のことをわかってない人間って・・・。
トリビアであったが、ハーゲンダッツの工場は全世界で3箇所だってな。
アメリカ西海岸、フランス、そして日本の群馬県。
>83

考古学会では、すでにダーウィンの進化論が信じられていないのは
常識です。

まだ創造論者と進化論者の決着はつかないようだ。
まあ、進化論者が遺跡やらなんやらについてずっと無視しているから
だけどね。

福沢諭吉が”学問のすすめ”に
「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」
とかいて平等を訴えたというのは嘘。

その後ろに「といわれているが、実際はそうじゃない。不平等なんだ。じゃあどうするかってーと勉強しか平等への道はねぇ」ってな感じのくだりがついている。

つまりおまいら勉強しろってこと
>85
温暖化して海の水位が上昇することはありえない

これは北極などの氷が溶けても って意味だったはず 氷が溶けても水位は上昇しないが水温の温度上昇によりに結局水位は上昇する。
※88
ちょっと違うんじゃないか?

「といわれているが、現実には金持ちも貧乏人も、賢人も愚人もいる。その差は何かっていうと、勉強したかしてないかの違いだ。お前らも、金持ち・賢人になりたいだろ?なら勉強しなYO!」
ちなみに諭吉は、娘の彼氏が結婚の許しをもらいにきたとき、「身分違いだ!お前なんかに娘はやらん!さっさと帰れ!」といって結婚を認めなかった。
>131

スパイしてたのはモー・バーグって選手。平凡ではあったけどホワイトソックスの捕手だったから野球選手じゃないのは嘘。20ヶ国語喋れたエリート中のエリートだったらしく、周囲の人達に「なんで野球なんかやるんだ?」と言われてた。
ドラゴンボールZのオープニングテーマの時に出る太陽の映像で、太陽から火柱みたいなのが出るんだけど、太陽の表面から火柱の頂点との距離は地球10個分。

太陽マジでかい・・
なんか適当だな・・
補足知識・・

カカオはおいしかったからではなく、現地にはいった軍隊が飲んだら
指揮が上がった為(カフェインの影響)軍隊が飲んでいた
飲みやすくするために工夫され甘くなった

耳垢についての豆知識・・ドライは腋臭(ワキガ)にならない
ウエットのみがなる。わきが臭い人はウエットタイプ

蟻について・・蟻に視力はない。匂いと触覚で行動する
前方の蟻についていけるのは個々の蟻が匂いを出している為

保存料、着色料なしの表記・・ある一定の基準以下だと表記できるのでゼロではない。ちなみにカロリーゼロもほとんどウソ

また一部イチゴミルク等の赤色着色料は虫からできている
(サボテンに寄生する小さな虫)身体に害はない

マイナスイオン・・身体にいいと言い出したのはインチキ番組
「あるある大事典」根拠はいまだ解明されていない
地球温暖化とかも本当か嘘かよくわからないよね。
ここ何十年とか百何年かで気温が上がり続けてるっていっても、それ以前がどうだったかなんて記録はないから、一度下がった温度がまた上がってるだけかもしれないし
人間だって体温が変動するくらいなんだから地球の温度が変動したって何も不思議はないと思う
でもマイナスイオンのドライヤーって
普通のドライヤーより明らかに髪がさらさらになるんだけど。
あれはなぜ?
世界最大の保険組織であるイギリスのロイズ保険は、生命保険は扱わない
マンガ・マスターキートンの第一話の描写はいきなり大間違いw
クマンバチは確か、空気を羽でかいて、自分のななめ下あたりに気流を作って、それに乗って飛んでるって証明されたんだぜ
まず、整数0に対して、自然数1を対応させる
次に、正の整数nに対して、自然数2nを対応させる
さらに、負の整数mに対して、自然数-2m+1を対応させる
そうすると、任意の整数に対して1対1に対応する自然数が存在する
故に、整数と自然数の個数は等しい

というのを今思いついたんだけど、あってるのかな?
161については疑問が残る。重罪というのは言いすぎ。
もうちょっと調べてみたほうがいいんじゃね? と思った。そういう考えもある、程度。
あ、すでに※77が言及してたw
俺はそういう考え方のほうがいいと思うな。何でも出来ないじゃなにもできない。
まぁすまそ。
>>122
というか、オナニーした後は毎回しょんべんに逝きたくならないか?w

マイナスイオンの話だが、体にいいとかそういうのは科学的には
立証されてないが、埃とマイナスイオンがくっついて空気を
綺麗にするとかっていうのは正しいんじゃなかったか?
米125,126
仮にマイナスイオンが存在するとしたら、その場合プラスイオンの存在する可能性も高い
要はマイナスイオンを発生させれば同時にプラスイオンも発生している可能性がある
クマバチは飛べないとか
恐竜は走れないとかは古く誤まった知識。

ハチの飛行は最新の航空力学では解決されているし、
恐竜が走れないとするのは筋肉の質をワニと同等で計算するという愚考の故。
米88

いや、あれは「後進国と先進国の違いは学問の有無。だから鬼畜米英どもに侵略されないようにお前ら勉強しる」だったはずだ
米114
それだとサイレンサーはどうなるんだよって話になるだろ。
たしか弾丸が飛び出るときの気流の関係で空気がはじける音だった気がする。
サイレンサーは中にいくつもの仕切りがあって音が鳴るほどの気流を生み出さないようになっている。
弾丸が音速を超えればサイレンサーを付けていても音は鳴る。
日本で最初にクリスマスを理由に休戦を命じた(あるいは応じた)という珍しい記録も残っている。それは永禄9年(1566年)のことであり、久秀が三好三人衆らと争っていた頃にあたる。

だってー。

>>679>>692にプラス

リンカンの任期を引き継いだ大統領はジョンソン。ケネディの任期を引き継いだ大統領も同名のジョンソン。その二人のジョンソンの生まれた年は100年違い。リンカンの暗殺犯ブースとケネディの暗殺犯オズワルドの生まれた年も100年違い。暗殺後、ブースは劇場から逃走し倉庫で捕らえられ、オズワルドは倉庫から逃走し劇場で捕らえられた。そしてブースとオズワルドはどちらも裁判が行われる前に暗殺された。

俺の知識ではこんなところかな
北極の氷が溶けたり温暖化で水が膨張するのが原因じゃないんなら、ツバル島が昔に比べて何度も洪水に見舞われるようになったのはなんだなんだぜ?
米133
?
サイレンサーは発射ガスが銃口から出たときに出る音を減らすものでしょ?
それ以外は米114の言ってることと矛盾してない気がするけど
ハエには単為生殖で増えるものもいる。イエバエの一種は体内に子が発生し、親の体を喰いながら成長する。子が外に出る頃には親は内側を喰い尽くされて皮だけ。そしてその子の中には既に新たな子が発生している。
タラバガニはカニじゃなくてヤドカリ。
クマバチなんかが航空力学的に飛べないというのは半分嘘。別の方法で実証された。
クマバチ≠クマンバチ。名前が似ているので混同しやすいが、クマンバチはスズメバチの別名。クマバチに猛毒は備わっていない。
一般的に嫌われている家ゴキブリは全体の1%未満。
対スズメバチ用の必殺技「蜂球」が使えるのはアジア産のミツバチだけ。
ゴキブリの不潔さは人間の手のひらより不潔ではない(個体差あり)
偶像崇拝は、旧約聖書では明確に禁じられているが、クルアーン(コーラン)ではそのような表現は特にない。
ハディース(預言者ムハンマドの言行録)のレベルでは、ムハンマドの幼な妻アイシャが人形をもっていたが咎めなかった、という話がある。ただし、ハディースは地域ごとに違うことがあるし、ある時期から加えられた偽のハディースというべきものもあることに注意。
赤い色を染める染料の一つであるコチニールは虫。
見かけは小さいダンゴムシっぽい。染めるとすごいキレイな色だけど、虫だからちょっと触るのに勇気がいる。
発がん性云々が多いな
そんなもの塩にもあるし、肉にもあるし、野菜にもある
発がん性の有無なんて意味がない
問題は毒性の強さ
↑の方で飛行機の飛ぶ原理について言っていたが
ラジコン飛行機や紙飛行機を例にだすのはあまり適切では無い。
ただ「飛ぶ」と言ってしまえばロケットも入ってしまう訳で
この二つはどちらかといえば「推力」で強引に飛んでいる部類に
入るわけです(本体の軽さに比べて圧倒的て意味でね)
ちなみに現在では推力>翼の揚力という結論がでており
最新鋭のジェット戦闘機ではエンジン切るとまともに滑空飛行
出来ない機種もあるとか・・
>>63のカーディガン卿はイギリス軍人だな。
おまけに、クリミア戦争で活躍したどころか
ロシア軍の砲列に軽騎兵旅団のみで突っ込んで
戦史上記録に残る損害を出している。
どちらかと言えば実戦経験皆無の無能な指揮官なんだよな。
人間は一度水に入ってまた陸に上がった霊長類だという説がある。

根拠は体毛の消失とか手指の水かきの名残とか下向きの鼻孔とか
>>745
整数と自然数の濃度は同じでも有理数は違ったはず。
有理数に自然数で番号を付けていくと、その番号付けから漏れるやつが少なくとも1つあるってカントールさんが言ってたような。

※107
過去の地球の気温は木の年輪やら南極のコアの水の質量で大体わかるらしい。
地球温暖化の件。

水位上昇
「南極大陸の上に乗ってる氷」が海に流れ出して云々って話だった筈。
北極の氷は始めから海に浮かんでるから融けても問題ない。

温暖化
確かに酸素よりは二酸化炭素の方が比熱がでかいかもしれないが、もっと根本的なことがあるだろうと。
ヒーター焚いたりとかヒーター焚いたりとかヒーター焚いたりとか。
*188
ちがう。有理数と自然数は1対1対応できる。分子と分母
を1から順番に並べればすべての有理数がつくれるから。
対応させられないのは無理数で、これは言う通り対角線論法
で対応にもれがあることが証明できる。
ちなみに無理数よりさらに1ランク「多い」無限、さらに
それより「多い」無限など、無限の系列じたいが無限にある。
アニメ『ガンダム』でリアルじゃない! と言われている
・OP曲の歌詞
・地球で平然と飛べるホワイトベース
・エルメス等のデザイン
これらは全て監督が自分で手がけたもの
ちなみに監督本人はリアルアニメを否定している

米34
空気漏れして乗組員が生身のまま死んだ宇宙船を調べたところ、別に血が沸騰なんかしてなかったらしい
あくまでらしい、だけどね
※193
温暖化に関しては、
海水に浮いている氷(主に北極など)が溶けても海水面上昇はないと言われている。
陸地の上の氷(主に南極とグリーンランド氷床、その他氷河)が溶けると海水面が上昇すると言われている。
そのほかに温度上昇による海水の膨張によっても海水面上昇が上昇すると言われている。
一方で温度上昇に伴って蒸発する海水の量が増えるため、その分は海水面が下がるという説もある。
スレにもあったが地球内部吸い込まれることで海水面が下がる(干からびる)という説もある。

現時点では要因を全て特定することも、それを観測することも、正しい予測をすることも不可能だから、あくまでも「温暖化によって海水面が上昇する可能性がある」程度にしか言えない。
マイナスイオンなんてものは存在しない。
誤解が無いように書くと言葉として存在しない。
今では陰イオン(又はアニオン)って正式名称が一応ついてる。
対になる存在はオゾンだ。
陰イオンを発生させると同時にオゾンも発生するわけだから濃度が
濃くなればもちろん有毒になるぜ。
ちなみに日本でこれの安全な発生装置作れる先生は一人しかいないと言っておく。
大手メーカーの製品はどこもその先生の装置。
天皇は東京に行幸してるだけ、とかいうやつだろ?
別に法律で首都定めてるわけでもないだろうし、
元首がいて行政府があったらそこが首都だよ
普通に東京
陰イオン(アニオン)
原子あるいは分子が電子を受け取って負の電荷を帯びたもの
例:水酸化イオン、塩素イオン、硫酸イオン

陽イオン(カチオン)
原子あるいは分子が電子を放出して正の電荷を帯びたもの
例:水素イオン、アンモニウムイオン、全ての金属イオン

オゾン
3つの酸素原子からなる分子
それ自体はイオンではない
更新を待ってる人がいるとはなんとみんな物好きなことか
もう誰も見ないかもしれないが、もうすこし投下

饅頭を考え出したのは諸葛孔明
童謡「クラリネットをこわしちゃった」は、原語の歌詞では別にクラリネットは
壊れてはおらず、ガキが吹き方が悪いため音が出ないだけ、という話
ゴリラの学名は「ゴリラゴリラ」
ローランドゴリラの学名は「ゴリラゴリラゴリラ」
アフリカで最も人を殺している動物はライオン、などではなく、カバ
プレスリーは腰の振り方がいやらしく品位を欠くということで、TV番組で
上半身ばかりを映されたことがある(『エド・サリバン・ショー』)
丁半バクチの丁は「ちょうど割り切れる=偶数」半は「半端が出る=奇数」の意味
ピカソの本名はクソ長い(←全部書くの面倒だからググってくれ)

上の※211は俺が昔聞いたこの問題の回答なんだか、
※167がすごい面白いなwww頭いいw

あと個人的にツボった無駄知識を一つ

「爪を武器に使うのはネコ科の動物と、人間の女だけ」
人間の好きなものとかってーのは大抵中毒性のある微量の毒素が含まれてるらしいな。
空気もそんな感じなんだろうな。
酸素に毒がなかったら二酸化炭素を吸って酸素を吐き出してっていう生活してたのかもしれんな
人間は元々水中にいたために
人中(鼻の下のみぞ)は口をすぼめたときに鼻の穴がふさがるように出来ている
ってのもある。
クマバチは航空力学的に「飛んでいる」のではなく、
流体力学的に「泳いでいる」と言った方が正しい
クマバチは、空気中で泳いでいるのだ
飛行機の原理をベルヌーイの定理だけで説明しようとすると無理がある
ナビエ=ストークス方程式を解けば問題なく説明できる
有理数と無理数の区別がつかないのが多いな…。

無限に続く小数でも、分数にできたら有理数。
だから有理数である整数も、無限に続く小数で表せる、はず。
ガラスは水とおなじ構造で、結晶ではない。
目には見えない速度で流動している。

ヨーロッパの古くからある神殿とかの窓ガラスは
下の方が厚くなって上の方が薄くなっている。
>>便宜的に.以降を3桁にしてみると

これは意味ないことしてるね

有限と無限とは全く別ものだから
有限桁で打ち切ってしまったら
元の無限桁の式とは何の関連もないものになってしまう
まあゲームネタなんだが、
FF4の四天王とプラスアルファのボスの名前って、
とある悪魔の名前から取ってるんだとさ。

悪魔辞典みてたら名前載ってたから。

どーでも良い話だわな。
「説明しようとすると一つの理論(ベルヌーイの定理)だけでは
説明ができない。 」
「しかし複数の理論を組み合わせれば説明はできる。 」
ことはもう分かっています。

飛行機が飛ぶ原理は解明されているからこそ
設計図が出来、飛べるのです。

しかしとある人物が「一つの理論だけでは説明ができない。」
という部分だけを抜き出してことさらに「説明できない」
という都市伝説を捏造したわけです。

その言いだしっぺの人物とは、ケビン・クローン(本名:越智啓斗)
っていう日本人です。
(読売テレビ制作の「たかじんのそこまで言って委員会」にて
大阪で2007年3月25日放送分) 。

ここまでデマが広まって本人も満足でしょう。
宇宙空間で太陽に当たってる側は150度、当たってない側は-150度

シャトル内は太陽光が当たらないから普通に窒息死だと思う

生身で宇宙空間に出てしまった場合太陽光に当たってるか当たってないかで死に方が変わるってTVでやってた
マリオの昔の名前は救助マン

ワルイージはマリオテニス64でワリオと仲間を組むキャラクターがいなかったから急いで作った。ワルイージだけ任天堂ではない。
井伊直弼は桜田門外で殺害された後、混乱を避けるために暫く生きているように見せかけられたらしい。

首と胴体なんとか縫いつけて。
松戸市には二十世紀ヶ丘という二十世紀梨にちなんだ地名がある。

ちなみに二十世紀梨を開発したのは松戸さん(市名とは関係ないらしいが)。

光の速さで10年宇宙旅行した宇宙飛行士が地球に帰ってきた。
帰還後その人は双子の兄弟と同い年の誕生日を迎える。

タイムワープなんてしねぇよ?
↑理由忘れてた パラドクスを一つ

すっげー速く地球から離れていく宇宙船では時間の経過が地球よりも遅い。
なら宇宙船からすっげー速く離れていく地球の時間の経過も宇宙船より遅く…?

ちなみに計算上ほんとに遅くなるんだ。でもそれは等速運動のときだけで、その誤差は行き帰りの加減速でチャラ。
多分そう見えるってだけどと思う。
某教育委員会でやってたけど、真空状態だと、液体は瞬時に沸騰した後、また瞬時に凍るんじゃなかったっけ?
そう考えると、沸騰(この時点で死亡)後に急速に冷却って事になって、沸騰した形跡がないだけなんじゃね?
んで、確認する人が来たときに平温になって、凍った形跡も見つけられない、とかw

あと、オナニー後に小便しろってヤツだけどさ、どんくらいの時間が経つとヤバいのかな?
菌の繁殖は凄い早さらしいが、1日2日で発病するくらいに増えたりはしないだろうし、近寄ってきたヤツは全部小便と一緒に出ちまうんじゃね?
銃弾
初速が音速以下の銃や空砲でも音がするのはなんでだよ?

宇宙空間
人間の血管には常に圧力がかかっているから、沸騰も蒸発もしない。減圧症にはなるけど
熱を伝えるものもないから焼死も凍死もない。宇宙線は危険だけど

石鹸
ゴム手袋付けててもヌルヌルするのはなんでなんだぜ?
※269
不思議だね
正解が分からないのに否定する理由は思いつくんだね
正解が分からないのに否定の理由が100%正しいと信じて疑わないんだね
整数と自然数の濃度とか個数とかが同じっていうのが理解できない・・・
漠然と同じなんだなーとか思っても零って自然数じゃなくて整数だからどう考えても整数のほうが個数が多い気がする

わかんね
アメリカではトマトは野菜か果物か?って裁判があった。
判決は「野菜」で、理由は「デザートとして食べられないから」。

鼻血のとき、鼻の上の方を抓んで、上を向いて首の後ろを叩くのは間違い。
特に上を向くと、鼻血が喉に流れてしまう。
正しくは、小鼻辺りを抓んで、俯き加減にしておくこと。
小鼻を抓むのは、鼻の真ん中の壁の、鼻の穴から1cm位のところが出血しやすいから。

あと、ブーメランの原理は解明されていない。

/ | +|トップ絵募集中!!サイズ・ジャンル問いません!って言ったら誰か描いてくれるのかなぁっていうテスト中。
「くそみそテクニックを古文っぽくしてみた」を朗読してみたに画像ry→元記事サザエさんを萌え絵にしたららきすたになるんじゃね?→元記事【VIPスレ】ハルヒにめがねかけたwwww→元記事

 

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